五章


夜、朔の部屋に膳を運ぶ。何時もの様に行為と共に彼は私を食べた。

事が終わり、私は隣で寝転がっている朔の髪を撫ぜる。さらりと落ちてしまうそれは、銅色がかっていて、大層美しい。見惚れていると、彼はぽつりと呟いた。

「僕の秘密を教えてやろうか。」

私は上半身を起き上がらせ、彼を抱き締めた。

「言いたく無い事は、言わなくても結構ですよ。」

「正一には、知っていて欲しい。」

白く細い身体は、力を込めれば今にも折れてしまいそうだ。背中の黒子をかりと引っ掻くと、朔はびくりと肩を震わせた。見上げるその瞳は、彼と行った喫茶で食べた洋菓子、確かチヨコレイトと言ったか、其れに似た色をしていた。

「正一、僕は、完全な麻生の人間じゃあないんだ。」

少し震える声で、話し出した。

朔は、如何やら父親の愛人の子だと。麻生の家は長年子宝に恵まれず、生まれたとしてもすぐに死んでしまっていた。そんな折、彼の父親は異人の女と恋に落ち、一晩を共にしたそうだ。そうして、その女は一人の男児を産んだ。銅色髪に銅色の瞳、日本人とは思えない程に白い肌。美しいその息子を麻生は女から奪い、跡取り息子として育てた。其れが、今の朔だ。

「母親の顔なんて、覚えていない。育ててくれたのは父様と母様だ。恨んでは、居ない。初めて知った時は本当の母親に逢いたいとも思ったが、麻生の事だから殺しているか、何処か遠くへ行かされただろう。未練が無いと言えば嘘になるが、僕も十三年間この家で暮らした身。如何とも思っていないよ。」

揺らぐその瞳は、様々な重圧から耐えて居る様に見えた。私は彼に優しく唇を重ね、一粒溢れ出た涙を舌で掬った。

軽蔑するか?」

「とんでもない。貴方は、貴方だ。私にとっては忠誠を誓う家の人間。其れに、」

今度は先程よりも、深く口付け、口腔内を舌で犯すと、朔は身体をくねらせ私の着物にしがみ付く。ゆっくりと顔を離し、額を寄せる。

しかし、いざ愛の言葉を囁こうとすると、口籠る。此れを言っても良いものか。私の立場で、朔に愛を謳って良いのだろうか。

考えた末、小さな声で言った。

「大切な人ですから。」

朔は私の胸に顔を埋め、声を殺して泣いた。

私達の秘事が、また一つ、増えた。

 

その後、奥方の部屋に向かうべく支度をした私を見て、朔は首筋を手当てしてくれた。じわりと綿紗に血が滲む。其れは私にとっては、朔だけのものであるという証であったし、痛みよりも快感の方が大きかったので、気にはしなかった。

襖に声を掛けると、はあいと甘ったるい返事が聞こえた。中に入ると奥方は襦袢一枚で、足を広げて座り、ビイドロの水呑みで洋酒を煽っていた。襦袢の下から胸の実りが透けて見え、慌てて目線を口許に逸らすと、其処には薄らと赤く紅が引かれている。

そんな私を見て、奥方はくすりと笑い、脚を組み直す。肌が月の光に照らされ、一層妖しく見えた。

「正一、傍においで。」

なるべく奥方自身を見ない様にして、襖の前に座った。もっと此方へ、と言う言葉を無視すると、奥方の方から近寄ってきた。私の頬に触れ、唇を耳元へ近付ける。

「好きな子が出来たんだって?朔の事かい?」

首を振る事も出来ず、黙ったまま天井を仰ぎ見た。知られてしまったら、認めてしまったら、私は恐らくもう朔には会えないであろう。

長く細い指で私の唇を柔らかく押しながら、突然首を舐められた。あまりの事に動揺し、奥方の肩を押してしまうと、綿紗に付いていた血の味を確かめるように、舌舐めずりをした。

ぐいと私の肩を押し、畳に寝かせ、彼女は私の上に跨った。

「あんな子、如何でも良いじゃあないか。正一、お前は私のものになりなさいな。」

私の着物を無理矢理脱がし、露わになった陰茎を咥えた。否、貪る、と言った方が良いか。まるで飢えた獣の様に、其処をガツガツと食べる様に舐めた。朔との時の行為とは違い、恐怖が背筋を襲う。此の御方は、一体何をしているのか。その姿は、妖艶とは程遠い、なんと醜穢な事か。

気分が悪い。空嘔吐をすると、奥方は其れを喘ぎと受け取ったのか、気持ち良いかい、などと言いながら頬張り続ける。しかし、其れが勃ち上がる気配は、一切無い。痺れを切らし、不能なままの其れを無理矢理自身の醜い女陰に捩じ込んだ。必死で腰を振る様は、さながら本能のままに交尾をする野良犬の様であった。

穢らわしい。

此の様な女人が、朔の母親として振る舞っていることが、大層腹立たしく感じた。彼はあんなにも美しく、清らかだと言うのに。血が繋がって居ないとは言え、麻生の奥方としての誇りは無いのか。否、其れがおごりとなっているのかも知れない。

快楽に身を任せ、目の前で揺れる乳房に掴み掛かった。奥方は嬉しそうに笑ったが、次の瞬間、真っ青な顔をして痛みで悲鳴を上げた。

爪を喰い込ませ、其のたわわな乳房は血塗れになった。胸を押さえ、倒れ込んだ彼女を蹴り飛ばし、着物を直しながら蔑みの目を向け、部屋を後にした。こんな事をして良いのか、覚えておけ、と言う金切声が聞こえたが、無視をして自室へ戻った。縁側から見た月は、其れは美しく輝く三日月で、朔が笑った時の口許に似ている気がした。

 

泥の様に眠った私は、翌朝、何者かの叫び声で目が覚めた。

何事かと思い、騒ぎのある戸口の方へ出ると、奥方が沢山の荷物と共に、地面に平伏し旦那様に縋り付いていた。捨てないで、自分が悪かった、こんな事は二度としないと泣き叫ぶ彼女に冷たい視線を浴びせ、お前の其の様な言い訳はもう聞き飽きた、と一蹴する旦那様は何とも男らしく、頼り甲斐のある背中をしていた。

奥方は、以前から使用人や出入りする商人の男に手を出していたらしい。昨夜の私への行為を知った旦那様は、堪忍袋の緒が切れ、とうとう奥方を追い出す次第となったそうだ。

私は悪くない、昨夜の事は正一から誘ったと戯言を抜かす奥方であったが、旦那様は聞く耳を持たず、荷物を蹴り上げると、さっさと自分の目の前から消えてくれ、そうして二度と現れるな、とぴしゃりと言って退けた。

朔のせいだ、あの忌み子のせいだ、あの子は必ず麻生を不幸にするだろう、と泣き喚きながら雑言罵倒を繰り返し、荷物を持って去っていく姿は、大層滑稽であった。道行く人々は其の気狂いな様子に道を空け、ひそひそと噂をしていたが、私としてはこの上なく晴々とした気分であった。

此の吉報を早く朔に知らせなければ、と思った私は朔の部屋へと向かった。軽快な足取りで廊下を歩き、襖に声を掛けるが、返事は無い。寝ているのだろうかとも思ったが、早く逢いたい一心で襖を開けると、彼は布団の上に棒立ちになっていた。

視線の先には、朔と同じ銅色の髪と目の、洋装に身を包んだ女性が淑やかに座っていた。

女性は私に気付くと、小さく首を垂れ、朔に視線を戻した。

「ずっと逢いたかったわ、ユリウス今は、朔、だったかしら。」

少し辿々しい言葉だが、はっきりと、そう言った。そうか、この美しい女性は、

「母様?」

絞り出すように、小さな声で朔は彼女をそう呼んだ。優しく笑い掛け、すっと立ち上がり彼の前に来て、そうよ、と返事をする女性は、朔に瓜二つであった。

旦那様は、以前から朔の本当の母親との再婚を望んでいたらしい、と後から人伝に聞いた。あの奥方は男癖が大層悪く、麻生家としては早い所離縁したかった。しかし朔の母親は異人であるし、名家の華族が外来の人間を娶るなど、と言う親族を説得させるのに手こずり、後妻であるならばと言う条件で了承を得た、と言う話だ。

私としては、朔が本当の母親と暮らせるようになったのは心の底から喜ばしいことであったし、あの女と違い、新しい奥方は下人にも優しく、自ら台所に立つ事もある程に料理上手であった。其れを我々使用人や女中に食べさせては、大層嬉しそうに笑い、明るく、太陽の様に私達を照らしてくれた。

すっかり麻生家に溶け込み、忽ち気に入られた奥方は、朔の事も良く気にして、病気に効くと言われた薬草を自ら摘んできて、煎じたりもした。

私は、そんな様子を見て、朔は喜んでいるのだとばかり思っていた。しかし、そんな奥方の優しさとは相反して、彼は前にも増して私と共に過ごす事を選んだ。何かに付けては呼び出し、出掛けたり、身体を重ねたり、更には以前よりも私を食べる箇所が増えた。一晩で一箇所だったのが、例えば腕だけでは飽き足らず、脚や腹にまで噛み付き貪った。

朔の為ならばとも思うが、余りにあちこち食べられては、私にも限りがある。或る晩、噛み付き私の血を舐め掬う彼に、問うた。

「何が気に入らないのです。新しい奥方は、あんなにもお優しい方です。貴方の本当の母親でもある。幸せでは無いのですか。」

其の言葉を塞ぐように深く口付け、私の口腔内で舌を暴れさせた。まるで言葉の通じない小さな子供のように、私の話を聞かない彼の頬を両手で挟み、真っ直ぐに目を見詰めた。チヨコレイトの瞳が、涙で揺らいでいた。

「如何したと言うのです。」

「お前は、」

震える声で、言った。

「僕の病気が治ったら、お前はもう僕と愛し合ってはくれないのか。」

「そんな事は、」

「僕がお前を食べるのは、治療の為だったんだろう。あの人は薬草を持ってくる。僕を治そうとしてくれている。其れは分かっている。其れでも僕は、病気のままでも良い。正一が傍に居てくれないなら、死んだ方が良い。」

彼の瞳から流れ出た涙を舌で掬うと、私はゆっくりと思いの丈を話した。

「治療は関係ありません。私が貴方にこうされたいから、今も傍に居るのです。貴方が気に病む必要はありません。喰われる事も、私がされたいからされているのです。貴方になら幾らでも、この身体を差し上げます。しかし、」

頬を撫ぜると、擦り寄り、私の指をぺろりと舐めた。

「最期まで、貴方の傍に居ると誓った。全て食べられてしまっては、もう一緒に居られなくなってしまいます。」

すまなかった。正一、ずっと僕の傍に居てくれ。」

彼の髪を梳き上げ、月に光る瞳に口付け、其の長い睫毛を食む。

「勿論です。」

深く長い口付けを交わし、約束した。