二章

 

 

翌日から、夕食の膳を運ぶのは私の仕事となった。

朔はよく、私に自分の飯を食わせ、それを見ては大層喜んだ。病弱な華族の跡取りが、年相応の笑顔を向ける事に、初めこそ驚いたものの、それは私しか知らない顔なのだと気付くと、何故だか誇らしい気持ちになるのであった。

飯を済ませると、毎回身体の何処かしらを噛まれ、血を吸われたが、食べられると言う事は無かった。それで良いのか、と問うた事もあったが、

「父様と母様がそれで僕の病気が治ると信じているだけだ。好き好んで食べている訳じゃあない。」

と少し寂しそうな目で私に言った。彼にとって人を食べる事は、両親の体裁の為だと知り、更にそれは苦痛でしかなかったと言う事実に、下人の私には知り得ない重圧感が伸し掛かって居るのだろう、と感じた。

「しかしな、」

彼は私の顔を覗き込み、舌舐めずりをして、先程自分が噛んだ私の腕に触れた。

「正一、お前はなかなかの美味だ。お前なら、僕も食べたいと思うぞ。」

行燈の灯りで橙に染まる彼の目は、餌を前にした獣の様だった。息が止まるかと思ったが、その目は一瞬で屈託のない笑顔に変わった。お前を食べたら話し相手がいなくなって退屈してしまう、と。

「しかし、」

何故私はこの時尋ねてしまったのか、自分でも気が狂った質問をしたと思っている。

「今は、食べてらっしゃらないではないですか。お身体の調子は大丈夫なのですか?」

「食べているよ。」

そう言って、朔は布団から出て桐箪笥の横の棚に手を伸ばし、其処から桶を取り出した。桶の中には、元の形が何だったのか分からない程にぐずぐずになった肉片が大量に入っていた。

「食べ残しは、こうして取ってある。それを食べている。」

つんとした匂い。殆ど腐って居る様に見える。そんなものを食べて腹を壊さないのか。吐いても無理矢理にでも食べないと心配されるからな、と朔は笑って言う。私は思わず、彼の肩を掴み、声を荒げてしまった。

「そんなもの、食べないで下さい!私は貴方が心配だ。こんな腐ったもの、捨ててしまいなさい。」

「何を言うか。」

然程驚いた様子も無く、彼は私の胸を押して離れるように命じる。しかし、私は彼を自分の胸に抱き寄せ、自分でも驚く言葉を発した。

「私を食べれば宜しいのです。」

返事は、無い。代わりに、首筋に歯を立てられた。初めてのあの夜と違い、痛みの他に、私は彼が新鮮な肉を食べられるのだと言う安堵感があった。そのまま噛み千切られた小さな肉片を、朔は口の中で転がし味わった後、ゴクリと飲み下した。

「変わった奴だな、お前は。」

私は首から滴る血を舐め取る彼の髪を掴み、悲鳴ではなく喘ぎを漏らした。安堵感だけでは無い。快感。朔に食べられると言う事が、私にとっては快感になったのだった。

 

その日から少しずつ、私の生活が変わっていった。

私は常に、身体の何処かしらに包帯を巻くようになった。朔に毎晩一口だけ食べられ、それを隠すように巻いていた。否、隠すと言うよりは、此れは私と彼の秘事であり、私だけが知っている彼のそう言った行為を他人に暴かれたく無かっただけなのかも知れない。

彼は私を美味しいと言っては、少しだけ齧る。血を舐め取ると、それで仕舞いだ。私としては、もっと食べて欲しい位なのだが、彼は何故だか其れを嫌がった。お前を食べれば自分の病気は治るのか、さあそれは分かりませんが私は食べて欲しいのです、いいやお前には居なくなって欲しく無い、の押し問答であった。

昨夜は、左の二の腕を齧られた。着物で隠れて居るので目立ちはしないが、じくじくと痛む其処は、自分が生きて居る実感と共に、もしかしたら私は朔にとって特別な人間なのでは無いだろうかと言う優越感にも浸る事が出来た。それは私が彼に好意を寄せる様になる理由としては充分であったし、きっと彼も、と乙女の様に夢想する切っ掛けにもなった。十六の男が純情な少女の様な眼差しで朔を見詰める様は、今思えば大層滑稽であったであろう。女中達は、私には男色の趣味があり、朔を狙って居るのでは、きっとあの御方は正一に騙されて居るんだわ何て穢らわしい使用人無勢が、と噂したが、私の頭の中はそれはもう浮かれ切っていて、そんな言葉は全く気にならなかった。

「奥女中が話していたぞ。お前は僕の身体目当ての穢らわしい存在であると。」

何時もの様に部屋で朔と二人きりになった時、そう言われた。そんな事は、と否定しようとしたが、出来なかった。身体の関係は無いにしろ、私はこの時すっかり彼に恋慕していたのである。俯いたまま黙って居る私に、彼は髪を掴み顔を上げさせた。橙の瞳が、真っ直ぐに私を見る。そこに映って居るのは、恋焦がれた女の様な顔をした私。恥ずかしくなり、顔を背けようとするが、髪を掴む力が強くなり、私はそのまま倒れ込んだ。

「何故、逃げる。」

「逃げてなど、」

「逃げようと、していただろう。」

朔は私の上に跨り、私の着物に手を掛け、洋シャツの釦を外していく。

何を、と言う言葉は、彼の口付けによって塞がれた。

「僕が、欲しいんだろう?」

舌を捩じ込まれ、上顎を擦られる。歯列を舐められ、唾液を吸われる。其れだけで私は昂ってしまいそうになるが、此処で彼に襲い掛かって仕舞えば、私の首が切られてしまう。

「お止め下さい、っ、」

「止めろと言ったって、身体は正直に反応しているぞ。」

彼は袴の隙間から私の陰茎に触れると、陰茸をぐりと押し潰す。膨隆した其処に刺激を与えられ、私は魚のように跳ねた。其れを見てにたりと笑うと、彼は私の露わになった肩に噛み付いた。肉が千切られ、痛みと快感が私を襲う。嬌声を上げると、嬉しそうに血を舐め掬った。

「お願いです、お止め下さい。」

「まるで生娘だな。」

嫌がりながらも正直に反応する身体に気を良くしたのか、朔は自分の着物をゆっくりと脱いでいく。陶器の様な美しい肌が、月の光で一層艶かしく輝いていた。思わず生唾を飲むと、彼は笑って私の鎖骨を舐める。片手で自身の菊座に指を挿入し、解していく。

その痴態に、興奮しなかったかと言えば嘘になる。齢十三とは思えぬ妖艶で官能的なその肢体に、私は情動に駆られ、朔の身体を畳に押し倒した。荒い息を吐きながら、私は彼の胸にある仄かに桃色がかった実りを口に含んだ。彼は私の頭を掴み、快楽に喘ぐ。

蕩ける様に柔らかくなった朔の蕾に宛行い、ゆっくりと挿入すると、そこは収縮を繰り返し、きゅうと私を締め付ける。初めての感覚に、私は其れだけで彼の中に吐精してしまった。しかし、彼はその白く細い脚で私の身体を抑え込み、離さない。

「もっと出せ。その代わり、」

私の腕に齧り付き、肉を口に含みながら口付けされると、血の味がした。

「僕は、毎晩お前を食べる。」

朔は喘ぐ代わりに、私の身体にあちこち噛み付き、歯形を残す。部屋には肌の擦れ合う音と共に、彼の咀嚼音が響いた。

 

「何故、私だったのですか?」

朔を抱き、身体の一部を食べられた私は、横で私の胸に頭を乗せる彼に問うた。柔らかな髪が私の鼻先を擽る。香の香りだろうか。良い匂いがした。

「女は、嫌だ。」

もぞもぞと私の身体に纏わり付く朔は、まるで甘える猫の様だ、と思ったが、口にはしなかった。

「僕と契れば、華族の嫁になれると思って何かと淫猥な誘い方をしてくる。だから、女は嫌いだ。」

朔には朔の、華族らしい悩みがあった様だ。しかし、

「使用人は、他にも居るでしょう。私でなくとも。」

「正一が、良い。」

顔を上げ、じっと私の目を見つめる。

「お前のその墨の様な涅色の瞳が、僕は好きだ。」

軽く口付けを交わし、朔は照れた様に私に背を向けた。

「初めて見た時からな。」

まさかの答に、私は胸が高鳴った。私のこの恋心が、見透かされているのかと心配になる程に。

「私、は、」

絞り出した声は、なんとも掠れ、震えていた。嬉しさのあまり、である。

「貴方のその銅色の瞳が、好きです。」

ぴくりと肩が揺れ、振り返った彼はうっすらと涙を浮かべていた。

「僕は、自分の色が嫌いだ。」

隠れるように私の腕の中に収まり、暫くもぞもぞと動いていたが、やがて小さく寝息を立てた。私は彼の美しい髪をくしゃりと撫ぜると、共に深い闇の中へ落ちる様に眠りについた。