吸血鬼×神父

 

 

夜中にふと、目が覚めた。

私は起き上がって、月明かりに照らされている窓の下の、私の横で寝ている男に目をやった。

出会った時は長かった漆黒の闇のような髪。今はバッサリと短く切られている。少し開いた口許には、一見、八重歯に見える尖った歯。牙だ。そこから穏やかな寝息が漏れている。

ズキン、と背中が痛んだ。後ろ手で触って見ると、恐らくは沢山の噛み跡。指に少し血が付いた。

隣で寝ている男は、吸血鬼だ。

毎晩、私を抱きながら背中や首筋に噛み付き、血を吸っている。

仰向けで、裸で寝ている男の胸元に、薄くなった銃痕を見つけた。脇腹には刺し傷。優しく触れながら、数えてみた。...1717の傷がある。後ろはどうなんだろう、と考えていると、男は目を覚まして私の身体を引き寄せた。

「何してんだよ。誘ってんのか。まだ足りないか。」

そう言われて、自分がいかにいやらしいことをしていたのか気付き、顔を赤くした。

男は私の首に歯を当て、噛み付いた。血を吸いながら、身体を撫で、再び行為に及んだ。

 

半年前の夜、村の外れの森近くにある此処、私の教会の前で、彼と出会った。

教会の裏に、私の家がある。その為、私はよく夜遅くまで教会に残り、丁寧に掃除をしたり聖書を並べ直したり、村の人々がその日点けていった蝋燭の火を一本一本願いを込めながら消していたりする。

教会内の掃除を終え、外の掃き掃除をしている時、森の中が騒がしくなった。沢山の人の声、松明の灯りがちらちらと見える。それに混じって、苦しそうな息遣いも聞こえた。

森を抜けて私の前に現れたのは、漆黒の長髪の、逞しい、黒い服の男だった。高そうな服を着ていたが、それはビリビリに破けていて、身体は血塗れ。どこから出血しているのか分からないほどの傷の多さ。

男は私を目にした途端、ガクリとその場に倒れ込んだ。森の中では、まだ複数の男の声と、松明の灯りが見える。

追われているのか。助けなければ。

私よりずっと大きい男をなんとか抱え上げ、教会の中へと避難した。長椅子に横たわらせ、私は閉めた扉に耳を当てた。

「こっちに来たはずだ。」

「何処だ。」

「教会があるぞ。あの中じゃあないか?」

「馬鹿な。吸血鬼は十字架が苦手なはずだ。そんな所に入るはずないだろう。」

「そうだな。じゃあ、まだ森の中か。」

「急げ。手負いの筈だ。そう遠くへは行っていないだろう。」

少しだけ扉を開き、男を追ってきた人々の姿が、森の方へと消えていくのを確認し、私は傷だらけの男の側へ駆け寄った。

「大丈夫か?すぐ手当てしてやるから、じっとしていろ。」

苦しそうに息をしながら、男は言った。

「何故、助ける。お前は、医者か。」

「いいや、この教会の神父だ。教会も神父も、人を助けるためにある。君が誰であろうと、神は私が君を救う事をお望みの筈だ。」

医療箱を持ち出し、清潔な布で傷口を押さえたが、別の場所からも出血している。どこを押さえれば良いのか分からないほどだ。男の体を伝って、床に血が流れる。

やはり医者に見せるべきか。しかし此処は村の外れ。病院へは急いでも1時間は掛かる。この怪我では、その間に失血死してしまう。私は兎に角、手当たり次第に血を止めようと躍起になっていた。

すると男は、私の腕を掴み、治療を拒んだ。

「そんなんじゃ、駄目だ。」

「諦めるな!」

目の前で人が死んでいくのは辛い。何とかして、助けたい。

「諦めたわけじゃない。」

男は、息も絶え絶えに続けた。

「俺は、人間とは違う。俺を救ってくれる気なら、あんたの首を噛ませてくれ。血が欲しいんだ。」

訳が分からなかった。しかし、それでこの男が助かるなら。

私は詰襟のボタンを外し、肩まで服を下ろすと、男の口許へ近づけた。

「遠慮はいらない。噛め!」

男はゆっくり起き上がり、私の首筋に思い切り噛み付いた。

ドクリ、ドクリと男の喉へと私の血が入っていくのが分かった。痛くて堪らなかったが、男の怪我に比べれば、こんなもの、大したことはない。

暫く経つと、男は自分から口を離し、大怪我が嘘のように、すっと立ち上がって口許を拭った。

私はと言うと、情けない事にその場に倒れ込んでしまった。頭がクラクラする。

「ありがとよ。あんたのお陰だ。」

何とか顔を上げると、滴っていた大量の血はいつの間にか止まっていて、傷口が塞がっているのが分かった。

私は先程、男を追ってきた人々の言葉を思い出した。

吸血鬼。確かに、そう呼んでいた。

吸血鬼なんて、本当にいるのだろうか。しかし、目の前で、血を吸う事によって傷を癒した男を見ると、信じるしかない。

しかし。私は不安になった。吸血鬼について、よく聞く話を思い出す。

男は倒れている私の前にしゃがみ込み、心配そうに背中をさすった。

「すまん。血を吸いすぎたみたいだ。貧血だな。暫く安静にしてろ。」

私を抱えて、先程まで自分が倒れ込んでいた長椅子に、私を寝かせた。

「世話になったな。」

そう言って出て行こうとする男の服の裾を私はそっと掴んだ。

「まっ、てくれ。」

男は私の声に足を止めた。

「まだ、森には追ってきた人たちがいる筈だ。今出るのは危険だ。」

「大丈夫。」

男は優しい笑みを浮かべた。

「さっきは不意に襲われたから、あんな怪我しちまったが、あんたの血を分けてもらったから、もう大丈夫。あんな奴らに捕まんねえよ。」

「それでも、危ない事に代わりはない。神父として、君を危険な目に合わすわけにはいかない。」

男は吹き出した。

「はっ!何言ってんだよあんた、正気か?俺は吸血鬼だぜ?人間のあんたが、俺を匿うなんて、おかしな話だ。」

「でも」

私は言った。

「血を吸われたんだから、私も君と同じになったんだろう?それなら仲間として、助ける義務がある。」

男はポカンと口を開け、今度は大笑いした。

「血を吸われたら吸血鬼になるって、本気で信じてんのか?」

私はおかしな事を言っただろうか。

「それは人間が勝手に作った俗説だよ。吸血鬼が望んで相手を仲間にしたいと思わない限り、血を吸われたって吸血鬼にはならねえから、安心しな。」

そうだったのか。てっきりこのまま、私も吸血鬼になってしまうのかと思って、覚悟を決めたところだったのに。

「それでも、やはりまだ森に戻るのは危ない。暫くは私の家にいると良い。一人暮らしだし、君は見た目は人間と変わりない。この村の人たちは優しいし、すぐ君の事も受け入れてくれるだろう。それとも、やはり十字架は苦手か?」

私は聖堂の真ん中に立つマリア像の上の十字架に目をやった。

「それも俗説。」

男はまた笑う。それから暫く考えて、ため息を一つ、ついた。

「考えれば、あんたの言う事はもっともだ。あんたが良いなら、暫く世話になろうかな。」

ほっとして、ずっと掴んでいた男の服の裾から手を離す。男は私の横に座って、言った。

「世話になるからには、ちゃんと働いて礼はするぜ。力仕事は得意なんだ。ただ、一つ頼みがある。」

男は言いにくそうだ。

「何だ、気にせず言ってくれ。」

「力が弱らないためには、少し、ほんの少しだけ、毎日血が必要なんだ。だから、あんたのを分けて欲しい。さっきは大量に吸っちまったが、普段なら、貧血にはさせないから。嫌なら森で動物の血でも吸うが...どうだ?」

「そんな事か。構わないよ。私だって、こう見えて体力はあるんだ。血を吸われたくらいじゃあ、倒れたりしないさ。」

「今まさに貧血で倒れてる奴の台詞かよ。」

全くその通りだ。

「じゃあ、宜しくな。神父さん、ってのは変か。えーと」

「エドだ。エドワルド。」

「宜しくエド。俺はロバート。ロブでいい。」

宜しく、と握手をし、それから私とロブの同居生活が始まった。

 

まず、追われている身のロブが相手に分からないように、長い髪をバッサリと切った。私の腕ではたかが知れているので、村に買い物ついでに床屋へ赴いた。

「へえ、神父様のご友人とは。いや、ね。神父様、人は良いんだが誰にでもこんな調子だろう?だから一緒に暮らす友人がいたなんて、びっくりだよ。」

ははは、と豪快笑う床屋の店主に、私は苦笑いした。確かに私には、友人と呼ばれる人はいない。誰にでもヘラヘラと笑う私は、神父としては慕われているが、心置きなく過ごす友人としては嫌なものだろう。

「彼の家が改築工事に入ってね。暫くうちで、暮らす事になったんだ。でも、此方に向かう途中に、森で獣に追いかけられてね。」

「ああ、だから服が血だらけなんですねえ。外の村から神父様の家に行くには、どうしても森を通らにゃならんからなぁ。」

我ながらなかなか良い嘘を思いついたものだ。

「傷は癒えたから、さっぱりしようと思ってね。」

ロブが答えた。

「久しぶりにエドに会うからと、新調した服がこのザマさ。」

店主もロブも豪快に笑った。気が合いそうな2人だ。

服屋の婦人も、ロブの明るい性格に気を許し、沢山の服をおまけしてくれた。

この村に、ロブは1日で馴染んでしまった。

 

「さっぱりしたな。」

短くなり、新しい服を着たロブは見違えた。まるで別人だ。ピッタリしたシャツから、厚い胸板が覗いている。胸の傷跡は、目立たない程度に治っていた。

「村の人たちも、すっかりロブを気に入った様子だった。安心したよ。君があんなに気さくな人だったなんて。」

「今までも、他の村でも馴染んでたさ。」

ロブは夕食の豆のスープを口に運びながら答えた。吸血鬼でも、人間の食事をするのだな、と私は思ったが、また笑われそうだったので口には出さなかった。

「ただ、毎日少量でも血は必要だから、山や森で獣の血を飲んでたんだ。それを見られた途端、あの始末さ。」

人の血を飲まないように、人間と一緒に暮らす為に、それなのに迫害なんて。酷い話だ。

「大変だったんだな。」

スープを飲む手を止め俯いた私に、ロブはまた豪快に笑って見せた。

「なんであんたが悲しい顔すんだよ。大丈夫だって。こんな事、もう200年も続けてれば、慣れるもんさ。ただ、あんたに会ったときは珍しく不意を突かれちまってな。油断してたんだ。前の村は、居心地が良かったから。」

200...。」

「吸血鬼だからな。不老不死さ。」

見た目は20代半ばほどに見える。髪を切ったせいか、余計に若く見えた。

「あんたは?」

ロブが尋ねた。

「この村で神父になって、何年だ?」

「私はこの村の、この教会で、前神父に育てられた孤児だ。この世界しか、知らない。」

「他に家族は。」

「いない。前神父が4年前に亡くなってからは、昨夜言った通り独りで暮らしている。」

「でも、今日から違うだろ。」

そっと私の手を撫でながら、ロブは言った。

「俺がいる。あんたは命の恩人だ。俺があんたを守る。」

...有難う。」

薄っぺらい笑みを浮かべると、ロブはため息をついた。

「あんた、いつもそうなのか?」

キョトンとしている私に、ロブは続けた。

「村に行った時もそうだったけど、ヘラヘラと。あんたはこの村の神父で、信頼はされてるようだが、あんた自身は心から信頼している相手がいないように見える。」

否定しようとしたが、出来なかった。

再び俯く私に、ロブは手を絡めてきて言った。

「一緒に暮らす上に、血もくれるなんて、あんたは本当にいい奴だ。だから、俺がお礼にあんたに幸せを与えてやる。」

するとロブは、私の腕をぐいと引っ張り、小さなテーブルを挟んで私の頭を引き寄せ、口付けた。

何が起こったか分からず無抵抗な私に、ロブは舌を絡めてねっとりと濃厚なキスを続ける。そのままテーブルの外側に引き摺られ、床に倒れ込んだ。

ガリッ、と唇を噛まれた後、ゆっくりと顔を離したロブは、私の血のついた自分の唇をペロリと舐めた。

慌てて逃げようと後ろを向くと、腰を掴まれ、うつ伏せに倒れた。私の詰襟のボタンをゆっくり外し、勢いよく上着を脱がせ、露わになった背中に、再びロブが噛み付いた。腰元を撫でながら、血を吸われている。ビクリ、ビクリと身体が緩急を繰り返し仰反る。

黙ったままの私に噛みつき舐め回しながら、ロブが口を開いた。

「痛い?」

首を横に振る。痛くは、ない。

「気持ちいい?」

「怖い。」

やっと声を出した私をロブが後ろで見つめているのが分かった。

「こういうの、初めて?」

「こういうの、って、」

「セックス」

そうして腰にあった手を胸元に持っていき、そこにある突起を指で優しく撫でる。途端に、また仰反る。声にならない呻きが出そうになるのを必死で堪えた。

「声、出しなよ。」

胸を触る手とは反対の手を私のズボンの中にするりと入れ、下半身にあるものをゆっくりと触り始めた。

「こんな事、した事ない。」

震える声で、言った。

「私は、神父だ。こんな事、許されていない。」

「じゃあ今禁忌を犯しているわけだ。」

そう言われて、カッと顔が赤くなった。我に返り、必死で逃げようとするが、敵わない。

「まあ、吸血鬼を匿ってる時点で、禁忌を犯してるんだろうけど。」

そう言いながら再び首筋に噛み付いた。

「血を、」

「ん?」

「血を飲むのに、こんな行為、必要あるのか。」

血を舐めながら、ロブは耳元で優しく言った。

「どうせなら、痛いだけより、気持ち良い方がいいだろ?」

「それなら、」

声を絞り出す。

「まだ抵抗する?」

「しない、から。だから」

振り返り、ロブの顔を見る。

「名前を、呼んでくれ。」

ロブは少しの間上を向き、考えた。

「何だっけ。」

「エドワルド、だ。」

「じゃあ、エド。これから毎日、気持ちよくしてやるよ。」

耳に噛み付きながら、ロブに囁かれると、私の身体がビクリと反応した。

 

それから毎晩、ロブは私を抱いた。首筋や背中に噛み付き血を飲みながら、私に優しく触れた。本音か嘘か、そのうち愛の言葉まで囁くようになった。しかし私はロブの、愛してる、に応えることは無く、毎回喘ぎを抑えるのに必死だった。

少しでも、神にこの行為が伝わらないようにと願いながら。

 

毎晩の夜の行為とは一変、元は豪快な性格のロブは村人に好かれた。約束通り、私の家の畑を耕したり教会に来る人の荷物を運んだり、力仕事を良くしてくれた。非力な私は、正直助かっていた。

ある日、日曜のミサを終え、村の人々が帰るのを見送っていると、1人の少女が私の前に立ち、白いハンカチを渡してきた。

私は体をかがめ、少女に話かけた。

「どうかしましたか?」

少女は私の首元を指さして、言った。

「エドワルド神父、首に怪我をしているわ。血が出てる。これで押さえて。」

顔を赤くして首元を手で隠し、笑顔を作った。

「有難う。大丈夫ですよ。」

少女は心配そうな顔をしていたが、向こうで母親に呼ばれ、お大事にね、と言い残し去っていった。

詰襟で隠れていると思い、油断した。

その一連を見ていたロブが、いつの間にか背後に立っていた。

「首に怪我をしているわ。気を付けて、エド神父。」

ニヤニヤしながら私を見下ろすロブを思わず睨み付けてしまった。

「昨日はだいぶ長い時間やっちまったからなあ。俺の不注意もあるよ。すまんな。」

優しい声で謝られると、許すしかない。最近は私も、すっかりロブに弱い。

ロブはロブで、2人きりの時以外は私に触れて来ないので、私は安心していた。

村の人々が全員帰ったのを確認すると、教会の掃除に入った。マリア像を見上げ、昨晩も禁忌を犯したことを心の中で懺悔した。

ロブは外の掃除をしてくれている。私はゆっくり丁寧に、一つ一つ長椅子を拭いた。拭きながら、横目で開け放したままの扉を見る。ロブの姿が見える。

キュッ、と心臓が締め付けられる感覚が襲う。

口には出さないが、私はどうやらロブを愛おしく思っているようだ。

再びマリア像を見上げる。

神よ、私はどうすれば良いのでしょう。このまま気持ちを隠し、ロブとの関係を続けて良いのでしょうか。

マリア像が少し、微笑んだように見えた。

正直になりなさい。

そう、言っているかのように。

 

その時、外で銃声が聞こえた。

 

扉の向こうに居た筈の、ロブの姿が消えている。

まさか、と思い急いで外に出る。

56人の男たちが、銃や鍬を片手に、畑の前にいるロブを取り囲んでいた。

「やっと見つけたぜ、吸血鬼。」

あの晩、ロブを追ってきた男たちだ。声で分かる。

「まさかこんな真っ昼間に、しかも教会の前にいるなんてな。」

「探したぜ。時間もあったことだし、銀の銃弾も手に入れた。これでお前も、お終いだな。」

ロブの左肩から血が流れているのが見える。しかし、どうやら致命傷にはなっていないらしい。銀の銃弾も俗説か。

「しつこい奴らだな。」

肩を押さえながらロブは言った。扉の前で呆然としている私をチラリと見ながら、此処から離れる隙を窺っているようだ。

しかし、そんなロブの視線を男たちは見逃さなかった。

「なんだあ、あの神父。」

男の1人が私を見ながら言う。

「あいつに匿われてたのか。神父のくせに、罰当たりな奴だ。」

そうして銃を持っている男に声を掛け、銃口を私に向けさせた。

「吸血鬼を庇う罰当たりな神父も、ついでに殺しておくか。」

「やめろ!」

ロブが大きな声を出した。

「あいつは関係ない。俺が吸血鬼と知らずに、住まわせてくれていただけだ。」

ちっ、と舌打ちをして、銃口をロブに向け直した。

ロブは逃げようとしない。逃げたら私が狙われると思っている。私もロブに迷惑は掛けたくない。しかし、足が動かない。

「確かに当たった筈だが、まだ平気なようだな。」

銃を持つ男は言った。

「頭か、心臓を狙うか。」

そう呟きながら、ゆっくりとロブの左胸へと銃口を動かす。

咄嗟に、私はなんとか走り出す。

「あばよ。吸血鬼。」

パンッ、と一つ銃声。

しかし、銃を持った男は、顔を青ざめ後退りした。

ロブの心臓を狙った筈の銃弾は、目の前に飛び出してきた私の左胸に当たった。

私は膝をつき、胸を押さえたまま血を吐いた。

「エド!」

ロブが私の名を呼ぶ。

「お前ら、なんて事を」

ロブの怒りが伝わってくる。横目でロブを見ると、身体が膨れ上がり、人ではない何かになろうとしている。バキバキ、と音が鳴り、筋肉が膨張して、怪物のように見た目が変貌していく。牙は伸び、黒い筈の瞳が赤く燃えているように見えた。

ひっ、と男たちは恐れ慄き、慌てて森の方へ走って逃げていった。それを追おうとするロブの腕をなんとか掴み、声を絞り出す。

「ロブ、駄目だ。」

ヒュー、ヒュー、と肺から息が漏れる。

「人を殺してはいけない。本当に化け物になってしまう。」

真っ赤な瞳で、ロブが私を見た。

「私なら、大丈夫だ。なんてことは、ないさ。さあ、ロブ。家に帰ろう。」

苦し紛れの笑顔を向けると、ロブの身体が萎んでいくのが分かった。瞳は黒くなり、いつものロブの姿に戻った。

ロブは私を抱きかかえ、家に入った。

私をベッドに横たわらせると、ロブは台所で何かを探しているようだった。

「ロブ。」

小さな声で呼ぶ。台所で返事がした。

「心配するな。今治してやるからな。」

「それより、早く」

ゆっくり息を吸いながら言う。

「早く、私を噛んでくれ。君も怪我をしているじゃあないか。血が、必要だろう。」

「何言ってる。こんなん、かすり傷だ。」

何かを見つけたロブが、此方に向かってきた。

「それより、エド、あんたの方が重症だ。死にかけてる。」

手には包丁を持っていた。

「初めて噛み付いた時のこと、覚えてるか?」

遠のく意識の中で、思い出そうとした。

「吸血鬼が望まない限り、人間は吸血鬼にならないって話。」

そんな事、言っていたっけ。ぼーっとして、思い出せない。

「吸血鬼の血を飲めば、人間も吸血鬼になれるんだ。その傷もすぐ治る。エド、俺はあんたを死なせたくない。今度は俺が、あんたの命を救う番だ。」

そう言って、ロブは自分の腕を包丁で切ろうとした。私は、なんとか動く右手でロブを止めた。

「そんな、事、しなくていい。」

「でも」

「それよりも」

ロブの腕をそっと撫でた。

「キス、してくれ。」

ロブは包丁を置き、私の頬に優しく触れ、唇を重ねた。

「ロブ、愛してるんだ。」

足りない酸素を取り込もうと、浅く激しい息をしながら、私は言った。

「君の、負担に、なりたくない。」

それを聞いたロブは、私から離れ、扉に向かいながら言った。

「絶対に死なせない。分かったか、死ぬなよ!」

ロブが外に出て行き、走る足音と息遣いがどんどん遠くなっていくのを感じた。

そのまま私は、意識を失ってしまった。

 

目が覚めると、窓から夕日が差し込んでいた。

私は起き上がり、ズキン、と痛む左胸を押さえた。見ると血は出ておらず、そこにはしっかり巻かれた包帯があった。

「目が覚めたかい。」

ベッドの横の椅子に、白髪の老人が腰掛けていた。

「アルバート医師」

医者はにこりと笑って、私の顔色を確認した。

「大丈夫そうだね。」

「どうして此処に。」

「ロバートが昨日、私を呼びにきたんだよ。真っ青な顔をして、エドワルド神父を助けてくれ、と。」

そうして銀色の皿に転がっている血に染まった銃弾を見せた。

「銀の銃弾。君の胸から取り除いたものだ。珍しいもので撃たれたね。」

「あの、ロブは」

「あとは頼むと言い残して、行ってしまったよ。」

医者は鞄の中をなにやらゴソゴソし、小さなガラス瓶を取り出した。

3日経っても目覚めなかったら、これを飲ますように言われたよ。」

瓶の中には、赤い液体が入っていた。紛れもなく、それはロブの血だった。

「病院から此処まで1時間は掛かるはずなのに、ロバートは私を担ぐと人とは思えない足の速さで運んでくれたよ。肩の怪我も、治療しようとしたんだが、それよりも君を、と聞かなくてね。やはり彼は、人ではなかったのかねえ。」

瓶を私に渡しながら、医者は言った。私はロブの血の入ったそれを大事に受け取った。

「また、会えるでしょうか。」

「またいつか、必ず来ると言っていたよ。」

それまで私は、変わらず待っていられるだろうか。瓶の中に揺れる赤い血を見ながら、私はロブの笑顔を思い出した。

 

「エドワルド神父、さようなら。」

「さようなら。また来週ね。」

日曜のミサを終え、帰路に着く人々を見送りながら手を振った。

全員が無事に村へ向かったのを確認すると、いつもの様に教会内の掃除を始めようと中に入った。

長椅子を丁寧に拭く。その一つに、どうやっても落ちない赤い染みがあった。それを見るたび思い出す、出会った日の事。

「エド。」

誰かが扉の前で、私の名前を呼んだ。懐かしい声。

振り返ると、昔と変わらない、いや、少し日焼けした姿があった。

私は雑巾を放り、駆け寄った。

「ロブ!」

しかし、勢い余って足がもつれ、転んでしまった。ロブは私の側に来て、跪いて手を取り、その皺だらけの手をじっと見つめた。

「飲まなかったのか。」

私はロブの残してくれたあの血を一滴たりとも飲まなかった。不老不死なんかにならずとも、私が生きている間に、きっとまた会えると信じていたから。

「ああ。醜くなっただろう。」

「全然。変わらねえよ。エドは、エドだ。」

それから指折り数え始めた。

「何年だっけ。ええと、30...

45年だよ。」

白髪が混じり、すっかり年老いた私と違い、ロブはあの日の若いままだった。

「待たせてごめん。」

そのまま、私を抱きしめた。

「どこへ行っていたんだ。」

「世界を、見てきたよ。」

大きな革の鞄から、沢山の風景画を出した。

「あんたに見せたくて。いろんな世界を。」

私の知らない青い海。赤い森。見た事のない景色ばかり。

「良いところは、あったか?」

「いいや。」

ロブは私の肩に顔を埋めて、言った。

「あんたの側以上に、良いところなんて、ねえよ。」

私の首を優しく噛み、血を吸った。