*7*


琥珀にとって、家族と言うものは冷たく、暗いものだった。五歳で孤児になるまで、親と暮らしていたが、琥珀の両親は外面だけの良い酷い親だった。琥珀の茶色い髪や瞳、そばかすが汚らしいと言っては頬を叩かれたり、食べ物を与えなかったりした。

ある時、琥珀は向かいの家が火事で騒ぎになっているのを見かけた。幸い小火で済んだが、その時琥珀は、火とは料理や灯りに使うだけではないのだと知った。

火で、家を、家族を、殺せると。

その晩こっそりベッドを抜け出し、火をつけた。外で燃えていく様を見ていた琥珀は、母親の叫び声や父親の呻き声に興奮しながらも、これで自分は一人きりになってしまうのか、と冷静に考えていた。あんな親の元より、孤児院の方がきっと幸せになれるだろう、と。

しかし、孤児院にいる時間が長くなればなるほど、寂しさは募るばかりであった。孤児院に入るには年齢がいささかいきすぎていた琥珀は、気付けば年長者になり、年下を面倒見るようになっていたが、その子供たちは次々に養子に取られ、琥珀は両親の言葉を思い出した。

髪や瞳、そばかすが汚らしい。

一日に何度も顔を洗い、石鹸で擦り、タオルで赤くなるまで拭く。それでもそばかすは消えないし、瞳はいつまで経っても綺麗な色になどならなかった。その為、琥珀自身、自分は美とは正反対の場所にいるのだろうな、と思っていたし、しかし孤児院という虐められない居場所があるだけで幸せだと言い聞かせていた。

銀が初めて琥珀を見て「美しい」と叫んだ時は、耳を疑った。このお方は何を言っているのだろう、と一瞬違う国の言葉でも話されているような感覚に陥り、養子の手続きをさらさらと進める金の仕草に、このお方は何をしているのだろう、とまるで人ではない何かを見ている幻覚に襲われた。

連れて来られた赤い屋根の屋敷は、美の塊であったし、こんな所は場違いなのでは、と思ったが、銀も、金も、水晶でさえも、自分を美しいと言ってくれるこの環境に慣れなければと思ったし、自分を好きにならなくては、と言い聞かせたが、それでも水晶の美しい顔を見ると、その瞳に映る醜い姿に思わず目を逸らしてしまう。この屋敷にいる少年たちにとって、美とは当たり前のことなのだから、琥珀自身ももっと自信を持っていけば良いものをどうしてもそれは湧いてこず、結局の所、銀は情けで引き取ってくれたのではないだろうか、と堂々巡りの不安に苛まれていた。

その為、水晶があそこまで自分に固執する事が、理解出来なかった。茶色い瞳が、そばかすが、美しい。今まで汚いと言われていたものを、彼は美しいと言い、口付ける。琥珀には、水晶が汚物を愛でているようにしか思えず、自分の事なのに吐き気がした。

森を走り続け、湖に着くと、琥珀はそのまま水に入り、自身の身体を擦り始めた。胸、腹、首、口。水晶に触れられた所を入念に。

彼は汚れたものに触れてはいけない。自分のような存在に、触れる事は許されないのだ。水晶が天使なら、琥珀は悪魔だ。両親を殺し、醜い姿で生き続ける、悪魔。そんなものと、水晶が愛し合って良い筈もない。

真っ赤になるほどに擦り続け、爪で引っ掻き、仕舞いには血が流れた。それでも汚れは落ちる気配はない。

琥珀は、汚くなどないのだ。今夜もきちんと風呂に入ったし、しっかりと身体も洗った。屋敷に来てから見違えるほどに清潔になった。汚れている、と思うのは琥珀自身の心の問題で、皆琥珀を汚いなどとは思った事はない。寧ろ、その優しさや、素直で一生懸命な姿を見て、金も銀も、少年たちも、励まされている。水晶は、そんな琥珀の、自身では気付かない部分を「美しい」と言っていたのだ。

しかし、琥珀にはそんな事は知る由もなく、やはりあの屋敷にいるのは間違いだ、このまま出て行こう、と湖から上がりネグリジェを絞った。裸足で出てきたので、足の裏に棘や石が刺さって痛かったが、帰ってまで靴を履く気にもならない。水晶に会ってしまっては、心が揺らいでしまう。濡れて冷える身体を摩りながら、ゆっくりと歩き出した。行く宛などないが、兎に角見付かる前に、一刻も早くここから離れたかった。

純粋で、穢れを知らない、優しいあの屋敷の住人に、迷惑をかけたくなかった。

「琥珀!」

自分の名を呼ぶ声が聞こえ、琥珀は思わず振り向いてしまった。息を切らせた水晶が、汗を拭いながら立っていた。必死で追いかけたのだろう。汗は止まる事なく、ぽたり、ぽたりと水晶の足下を濡らす。

呼吸を整えた水晶は、琥珀に近付き、額を寄せて涙を流した。

「ごめん、ごめんよ。」

血が滲むそばかすの顔に、口付け、謝る。何が、と問えば、全部、と返ってきた。

「僕が馬鹿だった。君を傷付けるつもりは、なかったんだ。ただ君が欲しくて。焦ってしまった。ごめん。」

青い目から溢れる涙が、琥珀の頬に落ちる。まるで聖水かの様に、琥珀の穢れを落すかの様に、心が洗われる気がした。

琥珀は水晶の涙をそっと拭うと、背伸びをして唇を重ねた。水晶は驚いて、動かない。普段、水晶からする事はあっても、琥珀自ら口付ける事は、無かった。口をはくはくと開けて戸惑いを隠せない水晶を見て、琥珀は思わず吹き出した。

「綺麗な顔が、台無しだよ。」

そう言って笑う琥珀に、水晶もつられて笑う。森の中には、二人の笑い声が響いた。

 

そっと屋敷に戻り、二人でベッドに横たわり、泥の様に眠った。翌朝、金が「早起きして気が向いたから」と言う理由で、朝食を作ってくれた。卵とベーコン、パンと言う質素なものであったが、皆喜んで頬張った。金の焼いたベーコンは、カリカリしていて実に美味いのだ。

「金は料理上手だね。」

「お前が作らんからな。」

「僕は皆を甘やかす役だもの。お世話をするのは、金の役目だよ。」

そんな屁理屈を言う銀の頬を抓って、金は、そんなんだからお前は一人で生きていけんのだ、と説教を始めた。

琥珀はテーブルを囲む屋敷の住人を見回し、今までに無い幸せを感じた。水晶と目が合うと、ぱちりと片目を閉じる。自身の過去は変えられない。親を殺したのも、事実である。琥珀はその罪を背負わなければならないが、それでも琥珀にも幸せになる権利はある。ミルクの注がれたグラスを手にして、映るそばかすを見たが、以前よりも嫌悪感は感じなかった。

紅玉の唇、翡翠と瑪瑙の瞳、黒曜の髪、瑠璃の痣、そして水晶の放つ美しさ。それぞれが無いものを持っている。美とは人それぞれで、それは琥珀のそばかすと茶色い瞳も同じ事なのだ。

朝日が窓の外の朝露を照らす。冬は近い。もうすぐ雪が降る季節。一面の銀世界は、少年たちの美しさにも勝るものだろう。

「暖炉に火が入ったら、マシュマロを焼こうか。」

「ビスケットに挟むと、格別なんだ。」

「熱々のココアも飲みたいなあ。」

「それにチョコレートをひと欠け入れたのが、僕は好きだな。」

「僕は暖かいシチューを作るよ。人参を入れて。」

「瑠璃の人参料理は一等美味いからな。」

それ、残したら駄目?」

「銀様、好き嫌いはいけませんよ。」

「琥珀。」

金が向いに座る琥珀に、声をかける。

「この屋敷には、慣れたかい?」

琥珀は今までで一番の笑顔で、応えた。

「はい!」