*1*


琥珀は十の誕生日に、この赤い屋根の立派な屋敷の主に引き取られた。

主の二人は、金と銀と言う、端正な顔立ちの年配の男達だった。ただ、その顔立ちに似合わぬ火傷の痕が、金は右半分に、銀は左半分にある為、森の奥にあるこの屋敷の事を街の人々は「お化け屋敷だ」とよく呼んでいた。琥珀も初めは、この老人二人の異様な空気に大層驚き、恐れたが、琥珀に笑いかけるその顔は何とも優しく、ああこの方々は見た目とは裏腹に綺麗な心の持ち主なんだなあと思い直した。

この屋敷には、琥珀を含め六人の少年がいる。皆血は繋がっておらず、琥珀の様に孤児院から引き取られた者や、屋敷の門前に捨てられていたのを二人が育てた者まで。そして、少年達は皆、鉱物の名前を付けられる。金自身はそうでもないのだが、愛する銀が美しい石が大層好きで、子供達にもその恩恵を授けたいと言う意思からこの屋敷に来る子供は皆鉱物の名に変えられるのである。

琥珀、と言う名も元々は違っていたが、銀は琥珀を一目見た途端、この子の薄茶色の瞳は琥珀にそっくりだ、嗚呼、口の中で転がして味わってみたい等とぬかすものだから、金は琥珀の肩をぽんと叩き、君は今日から琥珀だよ、と笑顔を向けたのであった。

琥珀の他の五人は、それは美しい少年ばかりで、琥珀自身、孤児院にいた頃は自分の容姿など全くと言って良いほど気にしていなかった筈なのに、そばかすだらけの顔が何とも恥ずかしくなって、下を向くことが多くなった。

今思えば、美しい、と言ってもそれぞれで、金と銀の美しいと思えるものは分け隔てなく、この子は瞳が、この子は髪が、この子は爪の形が、と誰も気に留めない様な部分に美しさを求めていただけだったのだが、それを琥珀が知る由もなく、こんな人形の様な子達の中に自分が混ざって良いのだろうかと日々悶々としていた。なるべく肩を並べたくなくて、洗濯や庭掃除など、一人で出来る仕事を率先してする様になった。

 

ある時、真っ白になったシーツを干し終えた琥珀は、洗濯物の向こう側にいる誰かに気が付いた。

そこには井戸があり、必死に水を汲む少年が一人。

透き通るような白い肌、薄紅色の唇、白銀の髪に青い瞳。まさにこの世の美を全て集約した様な、美しい少年だった。

ほうと見惚れていると、少年は琥珀の目線に気付き、琥珀を見てにこりと笑う。その笑顔がまた愛らしく、琥珀は天使にでも出逢ってしまったのかと思ったほどだ。

水を汲み終えた少年は台所の勝手口へと消えて行き、琥珀は顎に手を当て、はてあの様な少年は今まで見たことがあっただろうかと思案した。見掛けたら忘れない筈だ。第一、琥珀は人の顔を覚えるのが得意であるから、屋敷に来たその日に少年達の顔は全て脳に焼き付けた。

まだ見ぬ七人目がいたのか、と琥珀は同時に、何故金と銀はそれを教えてくれなかったのだろうかと考えたが、そんな事は此処で暮らす事に特に問題はないだろうと結論付けて、洗濯籠を持って中に戻った。

 

「それは多分、水晶だよ。」

緑の瞳の翡翠にそう言われ、琥珀はふむと頷いた。それは誰、と問うと、翡翠は上を向いて暫し考え、琥珀の耳許に口を寄せ、小さな声で話し出した。

「あの子は、僕らの中でも一番の古株なんだ。銀様が最初に拾った子なんだって。門の前に捨てられていたらしいよ。銀様のお気に入りだから、よく金様が服を見繕ったりして街に行ってる事が多いかな。」

銀様のループタイを選んでいるのも水晶だよ、と翡翠は付け加えた。銀はいつも色とりどりなループタイをしている。顔がそっくりな金との見分けは、左の火傷の他に、ループタイである。金は首許が締め付けられるのを嫌う為、タイはしていない。襟を大きく開けて、ジャケットを羽織る。外に出る機会の多い金よりも、屋敷の図書室に籠っている事の多い銀の方が幾分お洒落であった。

「あいつには、近寄らない方が良い。」

後ろから一際低い声で近付いて来たのは、少年達の中でも一等背が高く、年上の黒曜である。烏の濡羽の様な髪に、常闇の瞳を持つ少年。琥珀は、その威圧感が少々苦手であったが、黒曜は皆の兄貴分としてとても頼りになる存在の為、忠告を無視出来ずにいた。

「何故?」

疑問をその茶色い瞳に宿し、黒曜に問うと、黒曜ははあと一つ息を吐き、琥珀の隣に座った。

「他の奴が見たって言ってる。あいつが、落ちた雛鳥を貪ったり、野良犬と交尾しているのを。」

「誰が言ってたの?」

紅玉。」

紅玉は、薔薇の様に紅い唇を持つ少年だ。その唇からは想像も出来ないほどの方便が漏れる。紅玉の言う事など何一つ信用してはいけないよ、と琥珀は金と銀にきつく言われていた。その紅玉の言葉は、何とも嘘臭く、水晶を羨ましいが為に吐いた方便の様な気がした。勿論、琥珀はその様な事は信用しなかったが、黒曜の忠告はそれだけが根拠ではない気がしてならなかった。

「あいつ、いつも金様と銀様の横にいるか、一人で本を読んでいるかしかしてないから。俺達とは違うんだよ。」

果たしてそうであろうかと琥珀は水晶のあの笑顔を思い出す。美しさの影に、少年特有の愛らしさを感じた。本当は、彼もまた皆と仲良くしたいのではなかろうか。しかし、周りが水晶を受け入れてくれない。彼のあの美しさは他の少年とは違う。琥珀の他の五人は、美しいがそれは人間としての美しさだ。水晶の美しさは、天からの授かり物の様だった。ここに少年しかいないと知っていなければ、女と間違えたかもしれない。もし教会で見掛けたのならば、天使と見紛うたであろう。

紅玉は、少年達の中でも一、二を争う美しさであるから、水晶に嫉妬しての事かもしれない。しかし、水晶の美しさは秀でていて、この世に比べるものなどないのでは無いだろうか、と琥珀は水晶の姿形を頭の中で反芻する。

自分の容姿が落ちこぼれであると感じていた琥珀は、水晶と出逢った時にはそんな事を忘れてしまう輝きに満ち溢れていた。陽の光が彼を照らし、白銀の髪が煌めく様は本当に天使の様だった。自分を卑下するのが馬鹿らしくなるほどに、澄んだ空気を纏い現れた水晶。琥珀は彼が気になって仕方がなかった。

もう一度、逢えるだろうか。

また、笑い掛けてくれるであろうか。

まるで恋でもしている錯覚に陥りながら、琥珀は水晶の薄く青い瞳を探すのであった。

 

水晶は、困り果てていた。

今目の前にいる双子の老人は、どちらが先に風呂に入るかで喧嘩をしている。良い大人がそんなくだらない事で喧嘩など、と水晶は溜息を吐きそうになるのをぐっと堪え、二人の寝巻きを箪笥から引っ張り出した。

「金が先に風呂に入るんだったら、水晶と入るのはこの僕だからね!」

銀は頬を膨らませ、兄である金にそう叫ぶ。それに腹が立った金は、銀の髪を鷲掴み、大きな声で反論する。

「良い加減にしろ!水晶だって、もう年頃だろう。お前と風呂になんぞ入りたい訳がない!」

確かに、水晶は今年十四になる。大人と共に風呂に入るような子供ではない。声変わりもしてきて、少々ざらついた声音になったが、水晶の美しさはそれすらも引き立てるほどであった為、銀は初めに拾った子と言う名目以外にも、水晶の事が大層お気に入りだった。

水晶は、銀の理想の少年なのだ。

金と銀は、幼少期に親に暖炉で顔を焼かれた。元々美少年と評判の双子であったが、父親はその顔が女々しいと怒り、二人を痛めつけた。

拍車がかかったのは、銀が母の宝石箱から指輪を漁っているのを知った時だった。外で遊ぶのが好きな金とは違い、銀は室内で過ごすことが多かったが、中でも鉱物についての本を読むのが好きで、それに伴い宝石も気になっていた。

母の留守中に宝石箱を開け、まじまじとその美しい石の数々に見惚れていると、突然扉が開き、父が血相を変えて銀からそれを奪うと、庭で遊んでいた金を呼び付け、二人を暖炉の火に押し当てた。

「顔が醜ければ、女の様な趣味にはならんだろう。」

父親はそう言い放ち、病院にも連れて行かず医者にも見せず、二人は数日間熱と痛みに苦しんだ。それが引くと、鏡を見た銀は泣き叫んで悲しんだが、自分の背を摩ってくれている金にも同じ火傷がある事に気付き、しかも金はそれほど気にもしておらず、何故そんなに平気なの、と問えば、お前とお揃いだからさ、と応えた金の言葉に救われ、二人で笑った。

その日から、二人の絆は一層強くなり、火傷のせいで以前よりも部屋で過ごすことが多くなった銀の為に、金は外に出て河原や森で拾ってきた綺麗な石をこっそりと持ち帰り、それを銀に渡し、銀は大層喜んで、その銀の気持ちが金の事を兄弟ではなく人として愛している、と言うものに変わるのに、然程時間は掛からなかった。

二人が十七の頃に父が戦争で死に、その葬式の晩、金と銀は身体を重ねた。

翌年の誕生日、成人した祝いとして、金は銀に蛍石の指輪を贈った。銀の一等好きな石である。緑と紫の混ざったその美しい石を見る度に、銀は初めての夜を思い出す。それから二人で家を出て、この森にある屋敷を買った。

何十年も経って、二人はこの大きな屋敷に二人きりなのが寂しく思い始めた所に、門前に捨てられている赤ん坊を見付けたのだ。それが、当時の水晶である。水晶の成長していく様を見て、心が満たされた二人は、身寄りのない子供を引き取る事に決めた。女の子の育て方などまるで分からないので、男の子を選んだ。そうして、今のこの屋敷が出来上がった。

銀の寂しさを埋めてくれたのは、金と、水晶である。その為銀は、少年達の中でも水晶がお気に入り、と言うよりも過保護な父親の立ち位置にいる。金も、水晶の事は勿論愛してはいるが、他の少年と同等に扱わない銀に少々苛立ちを覚え始めていた。引き取った子は、皆我が子同然だ。それなのに、水晶だけ雑用をさせず側に置いておくなど、鑑賞人形の様で可哀想だと。

それでも銀は、水晶の手に傷が付いたらどうする、などとぬかすものだから、半ば諦め、しかし銀が図書室に篭っている隙に水晶に仕事を申し付け、少年達と何とか接点を持たせ仲良くさせようと試みていたのだ。

言い合いをしている二人を見ながら、水晶は今日逢った少年を思い出していた。見た事のない顔だった。金と銀が最近引き取った少年は、確か琥珀という名だったと彼のそばかすを頭に描きながら、考える。

水晶は、皆が綺麗と言う白銀の髪や白い肌、薄く青い瞳が好きではなかった。幼い頃から、何となく、自分は金と銀が引き取ってくる子供達とは違うと感じていた。何が違うのか、その頃は決定的な事は分からなかったが、皆自分に対してよそよそしく、紅玉なんかは自分の陰口を言っている。それが、この容姿のせいだと知ったのは、声変わりが始まった頃だったか。

小さなひよこの様な声だね、とよく言われた。それが、喉仏が出始めると、少しざらつき低くなった。低いと言っても黒曜ほどではないし、金と銀ももっと低い声で話す。男としてはまだまだ高い方だし、銀はそんな声も、ひよこから大人の鳥の囀りになったねと喜んだ。

しかし、紅玉はそれを良しと思わなかったのだろう。

「見た目は綺麗なのに、汚い声になったね。」

などと面と向かって言われ、水晶のいない場では、泥水の声で銀の後をくっついている金魚の糞だ、と噂された。

ああそうか、と水晶は悟った。紅玉は、水晶から見ても美しい。しかし、彼が嫉妬するくらい、自分は紅玉よりも美しいのか、と。

しかし、どんなに大人から美しいと言われても、紅玉が羨ましいからと悪口を言っても、水晶はそんな見た目で敬遠されるくらいなら、普通の子供になりたかった。

ただ、友達が欲しかった。

自分を好きと言ってくれる、同じ年頃の子を求めていた。

琥珀は、自分の噂を知っただろうか。それを聞いて嫌いになっただろうか。茶色い瞳は飴玉の様で、綺麗だった。彼となら、仲良くなれるだろうか。

水晶は、明日の銀の予定が図書室に篭る仕事である事を祈りながら、皺だらけになっていた寝巻きを畳んだ。