月夜の晩
おれは今、ある男の後を付けている。村の皆は気にしてないけど、おれは密かに、そいつは人間じゃあないんじゃないかと思っている。でも、そんな事言ったら笑われるのがオチだ。だから、証拠を掴んでやろうと言う訳。
おれの父さんはこの村唯一の医者で、他所の人から見たら、おれが孫に見えるくらいの年だ。おれが生まれる2年前に、まだ20歳だった母さんと結婚して、おれが生まれたんだって。その頃はまだ爺ちゃんが生きていて、父さんは一緒に病院をやっていて、そこに来る患者の娘が母さんだった。
父さんは、何故かずっと結婚しなかったらしい。小さい頃、どうしてって爺ちゃんに聞いたら、
「色々あったからな。踏みとどまっていたんだろう。」
だって。
それに父さんは、教会に行くといつも、おれと同じ名前の人の墓に、青い花とパンを置くんだ。
「この人から、お前の名前を貰ったんだよ。」
口癖の様に言うから気になってるけど、その人の事は何となく聞いちゃいけないのかな、って思ってる。
話がずれちゃったけど、おれが気になっているのは、そこの教会に神父様と住んでいる男だ。
神父様はもう爺さんなのに、その若い男と暮らしている。でも、どうやら息子とか、親戚とか、そういう感じじゃないらしい。これも爺ちゃんが言っていたんだけど、
「エドワルド神父とロバートは、やっと一緒に暮らせる様になったんだ。だからウィル、お前も2人を見守ってやるんだよ。」
なんて事言うから、神父様とその男、ロバートは昔からの知り合いって事が分かった。
でも、おかしいんだ。だって神父様は爺さんで、ロバートはめちゃくちゃ若い。20歳そこそこって見た目。昔からの知り合いにしては、年が離れすぎている。
それに、日曜のミサの後、いつもの様に父さんが墓参りするのに付いて行って、ふと教会の方を振り返ったら、神父様とロバートが、なんか、こう、顔が近くて、ロバートは神父様の腰に手なんか回しちゃって、あんなの絶対ただの知り合いじゃないよ。
それから、神父様の服からチラッと見える首の噛み跡。まるで獣に噛まれたみたいな、牙の跡。
だから、ロバートはきっと、狼男とか、多分そんな感じの奴で、神父様を少しずつ食べて若さを取り戻してるんだって、俺は思ってる。
そうしたら今日、たまたま病院の上にある俺の家の窓から、1人で買い物に来ているロバートが見えたんだ。いつも神父様にくっついているロバートが1人なんて、とても珍しいし、この機会を逃したら次はない気がする。そう思って、おれは後を付ける事に決めた。
下に降りたら父さんがいて、どうやらロバートは父さんに注射をしてもらいに来たらしい。何の注射、って聞いたら、父さんは少し悩んでから、
「血を採って、病気じゃないか調べるんだよ。」
って言ってた。父さんは嘘が苦手。笑っていたけど、右の頬がピクピクって動いたから、あ、これは何か隠してるんだ、って分かった。
きっと本当は、狼男だから狂犬病の注射に決まってる。
それからずっと、今日はロバートの背後にくっ付いてる。見つからない様に、建物に身を隠して、慎重に。
ロバートは、果物を買ったり、パン屋に寄ったり、時々重い荷物を運んでいる人を助けたりしている。あの小麦粉の袋、凄く重いんだ。手伝った事あるから知ってる。でもロバートは片手でひょいっと持ち上げてしまった。いくら筋肉があるからって、そんなの、普通の人には無理な話だ。
絶対、人間じゃない。
こっそり付いていくと、教会に着いた。裏にある神父様の家に、ロバートは暮らしている。
そのまま中に入ったら、窓から覗いてやる。
そう思っていたら、いきなりロバートが振り返った。おれはびっくりして、急いで木の影に隠れた。
「おい。」
ロバートがおれに声を掛ける。
「ずっと見てんだろ。バレてんぞ。」
少し怒った様な、低い声で言われて、おれは怖くなって姿を見せた。
「ダニーんとこの坊主だな。何か用か?」
一生懸命言い訳を考えていると、おれに近付いてきてロバートは笑って見せた。
「何ビビってんだよ。取って食ったりしねえよ。」
「でも...」
「用があるならはっきり言え。コソコソ付いてくるな。」
全くその通りだ。でも、聞いたからって本当の事を教えてくれるだろうか。正直、身体が大きくて声の低いロバートがおれは怖い。本当に人じゃなかったら、食べられなくても、殺されてしまうんじゃあないだろうか。
何も言えないでいると、突然、俺の腹が鳴った。
そう言えば、昼ご飯を食べていない。
ロバートはその音を聞いて、大笑いした。俺は恥ずかしくて、下を向く。
「腹が減ってちゃあ、返事も出来ないよな。来いよ。飯食わせてやるから。」
腕を引かれて、家に連れて行かれた。
「まあ、作るのは、俺じゃあなくてエドだけどな。」
中に入ると、いつも通りきちんと身なりを整えた神父様が、お茶を飲んでいた。急な客に驚く様子もなく、笑顔を見せる。
「おかえり、ロブ。そちらは、アルバート医師...ダニー医師の息子さんのウィルだね?」
村の年寄りにとってアルバート医師とは死んだ爺ちゃんの事で、父さんの事は名前で呼んだりする。おれは神父様に頭を下げた。
「何か用かな。ああ、お墓かな。お爺さん?それとも、もう一つの方かな。」
花一輪も持たないおれが、墓参りな訳が無い。神父様は、少し抜けた所がある。
「違うんです。あの、えっと、」
「おれとエドの関係、だろ。」
ロバートが口を挟んだ。全てお見通しだった様だ。
そうなの、と神父様に尋ねられて小さく頷いた。神父様は優しく笑って、答えてくれた。
「そうだね。若い人は、私とロブがどうして仲が良いのか、気になるのかもしれないね。見た目がどうしても、不釣り合いだからね。」
「そんな事無いだろ。」
ロバートが否定する。
「エドは、昔も今も変わらない。ずっと綺麗だ。」
恋人を褒めるかの様な言い方だ。いや、昔もって、若い頃を知ってるのか。やっぱりロバートは、人間じゃあないのか。
「それは言い過ぎだよ。ロブこそ、昔と変わらないじゃあないか。」
「良い血を毎日貰ってるからな。」
おれの方を見てニヤリと笑う。八重歯が覗く。
「し、ってる。だって、神父様の首に、噛み跡があるから。」
それを聞いた神父様の顔が赤くなった。
「ロブ!君は何度言ったら、見える所は噛まないとあれ程...」
不可抗力だ、とかなんとか言って、ロバートが頭を掻いた。おれは思い切って、聞いてみた。
「貴方は、人間じゃないんだよね?...狼男?」
それを聞いたロバートが、吹き出した。
「おいおい、狼男と来たか!」
「違うの?」
「俺は吸血鬼だよ。だから、年を取らない。エドと初めて会ったのは、もう45年以上前だ。」
吸血鬼だったのか。噛み跡に納得。でも。
「それじゃあ、血を吸われてる神父様も、その...」
口籠るおれに、神父様は笑顔だ。
「私は人間だよ。血を吸われても、吸血鬼になる訳じゃあないんだ。」
ロバートはそんな神父様の腰をずっと触っている。肩に顎を置いて、時々神父様の首筋に鼻をくっつける。まるで飼い主に懐いた犬の様だ。
「何でそんなに、仲が良いんですか?」
純粋な好奇心で聞いたつもりだったが、神父様の顔は耳まで赤くなり、ロバートは神父様を抱き寄せた。
「こういう関係だからだよ。」
そう言って、ロバートは神父様の唇に自分の唇を近付けた。神父様は、慌ててロバートの顔を押さえた。
おれは呆然と、その様子を見ていた。
こういう関係って。今、キスしようとした?
口を開けてその様子を見ているおれに、神父様は言った。
「ごめんよ、ウィル。ロブは、恥じらいと言うのを知らないんだ。」
「俺にだって恥ずかしい事くらい、あるぞ。」
「何処が。もし仮にそうだったら、子供の前でこんな事するものか。」
全くその通りだ。必死で取り繕う神父様と、隠す気の無いロバート。どうしてこの2人、恋人同士なんだろう。
神父様は体を屈めて、言った。
「ウィル、この事は、秘密にしてくれるかな?」
小さく頷くと、神父様はほっとした顔をした。
「ウィル、何処か調子が悪いの?」
夕食の進みが悪いおれに、母さんが声をかけた。
「お昼も食べずに出掛けたのに、夕飯もあんまり食べないなんて。」
「神父様の所で、ご飯食べたんだ。」
おれがそう言うと、母さんは、あらそう、なんて言って食器を下げて、お茶を入れ出した。
玄関の戸を叩く音がして、母さんが扉を開ける。近所のおばさんが今日あった事を話しにくる時間だ。玄関で母さんが話し出すと、長い。その間に、おれはお茶を飲んでいる父さんにそっと尋ねた。
「父さん。父さんは、知ってる?神父様の所のロバートがさ、」
「人間じゃないって?」
意外な答えに、おれは驚いてお茶を溢した。慌てて拭く。
「この村の年寄りなら、直接聞いた訳じゃあないが、大体知っているよ。何せ、45年前に消えた男が、年も取らずに戻ってきたんだからな。」
皆、口に出さないだけだ、と父さんは言った。
「まあ、私は45年前はこの村に居なかったから、父...お前のお爺さんと、エドワルド神父から聞いた話だがな。」
45年前は、父さんは医者になる勉強をしていて、都会に行っていたらしい。
「だがな、ウィル。」
父さんは続けた。
「人かどうかなんて、問題じゃあないんだ。好きになるのに、そんな事、大した障害じゃあない。問題は、どれだけその人を幸せに出来るか、だ。」
俯いて、小さな声で言った。
「私には、それが出来なかった。」
父さんの過去に何があったのか、詳しい事はいくら聞いても話してくれなかったが、多分あのお墓の人、おれと同じ名前の人と関係しているのかな、と言うのは感じ取れた。
それから口許に指を立てて、母さんには内緒だぞ、腰を抜かしてしまうから、と言った。男だけの秘密みたいで、おれは少しワクワクした。
それからおれは、すっかり神父様の家に入り浸る様になった。
「神父様とロバートは、いつから仲良くなったの?」
お茶をもらいながら、2人に尋ねた。神父様の家のお茶は、ロバートが買ってきていて、とても良い香りがする。
2人は顔を見合わせた。先に口を開いたのは、ロバートだった。
「そうだな、出会った翌日の夜には、もう抱いてたな。」
ニヤリと笑うロバートの言葉に、顔を真っ赤にする神父様。神父様はロバートといると、よく赤くなるなあ、と思う。
「抱くって?抱き締めるって事?」
そんな甘いもんじゃ、と言いかけたロバートの口を神父様が塞いだ。
「そう、そうだよ!抱き締め合うくらい、仲良くなったって事だね!」
慌てる神父様に、恐らくそんな意味では無い事を感じた。
「おれの父さんも、そんな感じだったのかな。」
墓のことを思い出しながら言う。
神父様は、ゆっくりと話し出した。
「私も直接その人には会っていないから、詳しい事は分からないけど、とても大切な家族だったとダニー医師は言っていたよ。だから、君が生まれた時、ダニー医師はとても御喜びになった。息子が戻ってきた、と言ってね。」
若かった父さんにとって、息子の様な存在の人って、どんな人だったんだろう。おれは目を閉じて、会った事のないその人に想いを馳せた。
「なんでも、狼に変身する少年だったそうだよ。」
狼男。
驚いた。父さんは、自分の事は本当に何も話してくれない。
「どうして、死んじゃったんだろう。」
「それは、気になっても聞いてはいけないよ。」
神父様は優しく、そして厳しく言った。
「話さないって事は、とても悲しい思い出という事だ。ウィル、君はお父さんの事、愛しているかい?」
「勿論!」
おれは答えた。
神父様はニッコリ笑った。
「それなら、大丈夫さ。過去に何があったとしても、お父さんは今、幸せだよ。」
その日の夜、夢を見た。
おれは記憶に無い、古い下宿屋にいて、其処には机に向かって勉強する若い男と、ベッドに寝転がって何かを話している少年。
少年が声を掛けると、男が少年を見る。
その横顔に、父さんの面影を感じた。
ああ、これは父さんの若い頃だ、とおれは気付いた。医者になる為に都会に出ていた時の父さんだ。
笑顔で少年に応える父さん。その眼差しは、慈愛に満ちていた。
ふと、少年がこちらを見る。ベッドから立ち上がり、近付いてきて、おれの耳元で囁いた。
「ダニを、よろしくね。」
そこで目が覚めた。
あの少年が、ウィリアム。おれと同じ名前の、少年。
窓の外を見ると、満月が輝いていた。
「ウィリアムって、どんな人だった?」
診察の休憩中、父さんに聞いた。
父さんは顎に手を当て、少し考えてから、思い出しながら答えてくれた。
「彼は、とても利発な子だったよ。言葉も知らなかったのに、一月経つ頃にはきちんと食器を使って食事をする程にまで成長したよ。彼の学習能力は大変素晴らしかった。だからこそ、幸せにしてあげたかったよ。」
悲しそうな顔をしたが、すぐにおれを見て、頬に触れた。
「だからって、ウィルは無理して彼になろうとしなくて良いんだよ。彼は彼。ウィルはウィルだ。」
父さんの手を握って、おれは昨夜見た夢の中の少年の言葉を思い出す。
「おれ、」
「うん?」
「おれ、おれは、その人にはなれないけど、父さんがおれが生まれた事で幸せになったなら、嬉しい。」
「幸せだよ。」
父さんは目から一粒、涙を流した。
「私は幸せだ。昔も、今も。」
「あの人が言ってたよ。父さんをよろしくって。」
そう言って、部屋に戻ろうと扉の方へ向かいながら、父さんに言った。
「あの人もおれも、幸せだよ!昔も今も!」
それから扉を閉めて、教会へ向かった。
神父様に、昨夜の夢の話をしよう。でもその前に、あのお墓に挨拶をしよう。これからもずっと、君はおれにとっても家族だよって。
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