荒野の果て

血塗れの仲間を1人背負って、何もない荒野をひたすらに歩いている。

もう少し。もう少し歩けば、きっと村があるはずだ。そう信じて歩き続ける。足はもう疲れ果て、棒のようだ。

「死ぬんじゃない。」

背負っている男に、声を掛ける。もう1時間も前から、返事は無い。それでも俺は声を掛け続けた。そうでなければ、俺の気が触れてしまいそうだからだ。

「子どもが、生まれるんだろ。」

返事の無い男に尚も話し掛ける。

2人目が、もう直ぐ生まれるって、お前言っていたじゃあないか。こんな所でくたばってどうする。」

足元に、ポタリと落ちる血を見ながら、徴兵された時の男の言葉を思い出した。

 

「お前さん、家族は?」

戦争なんかで徴兵されて、人と馴れ合う気など無かった俺は、ぶっきらぼうに答えた。

「いないよ。親は去年死んだし。結婚もしていないから。」

「まだ若いんだ。恋人くらいいるだろう?」

言葉に詰まってしまった事を今でも後悔している。あの時、正直に話していれば、この男は笑ってくれただろうか。

「守るものがあるって、良いもんだぜ。」

すると男は胸ポケットから一枚の写真を出した。男の子と、寄り添う女性。女性のお腹はふっくらとしていた。

「来月2人目が生まれるんだ。医者の話じゃあ、女の子の可能性が高いって。嬉しいよなぁ。」

男は笑顔で写真を見ながら、言った。

「こんな戦争なんかで死ねねえよ。俺は。家族のもとに必ず帰るさ。」

 

岩場を見つけ、抱えていた男を腰掛けさせた。灼熱の太陽の下、少しの日陰も有り難い。

空になった水筒に、一滴でも入っていないかと振ってみたが、何も出てこなかった。少しでも喉を潤そうと、自分の腕から出ている血を舐める。

腰掛けている男の体に、虫がよじ登って来た。男は微動だにしない。口は半開き。瞬きもしなくなった目は、空を見つめている。

動かない男の胸ポケットに手を当て、俺は俯いた。

「死なないって、言ったじゃないか。」

何時間も、俺はとっく息絶えている男を担いできていたのだ。

周りを見渡す。何処にも村はない。隠れる場所もない。見渡す限りの荒野。

空を見上げると、雲ひとつない。あいつの顔を思い出す。屈託の無い笑顔。

 

その時、何処からか轟音が響き、途端に閃光が走った。

 

気付くと俺は、地面に横たわっていた。

...下手くそ。ちゃんと狙え。」

爆撃だった。

周りには、先程まで男だった筈の肉の破片が散らばっていた。

自分の脚があった筈の場所に、手を伸ばす。感覚が、無い。下半身が全て無くなったらしい。ドクリ、ドクリと血の流れる音が聞こえる気がする。

ここまでか。

そう、終わりを感じた。

そうなると思い出すのは、やはりあいつの事。

あいつは、脚が悪かったし、病気だったから、徴兵されていない筈だ。最後に話したのは、病院だった。少ない給料で貯めた金で買った、指輪を渡しに行こうとした日に、徴兵の手紙が来た。

戦争に赴く事を伝え、あいつの薬指に指輪を嵌めた。

「俺、待ってるから。」

いつもと変わらない、しかし何処か寂しそうな笑顔でそう言った。

「お前が帰ってくるまで、俺は病気に負けないよ。だから、お前も戦争に負けるな。絶対に生きて、帰って来てくれ。」

何も言えなかった。待っていてくれ、とも、自分の人生を歩んでくれ、とも。ただ、何処かで期待していた。俺が無事に帰って来たら、きっとこいつの病気は治ると。そうして、年を取るまで一緒にいられるだろう、と。

 

「ごめん、な。」

 

もう、声も掠れてきた。

ゆっくりと目を閉じると、あいつが側に居てくれている気がした。

 

「愛してるって、言わなくて、ごめん。」

 

ヒューヒューとなっていた喉が、塞がってきた。ゆっくりと、確実に、呼吸が止まっていく感覚があった。

血は、尚も止まることなく流れ続け、荒野に細く赤い川を作った。