氷の魔女と少女
ある山の麓に、小さな村があった。
その山は、一年中雪と氷に包まれているので、麓の村も一年中寒かった。
雪山の頂上には、氷の魔女が住んでいた。もう何百年も昔から、独りで氷の城に住んでいた。週に何度か、村から登ってきた人々が、魔女に願いを叶えて欲しいと贈り物を持ってやってきた。しかし、魔女の心はいつまでも満たされなかった。
今この雪山に、1人の少女が登っていた。
ボロボロの服に穴の開いた靴、防寒着と言えば解れたマフラーくらいだ。少女も氷の魔女に、願いを叶えてもらうために登っているのだった。
村から3時間程かけて頂上に着くと、其処には見たこともないような、火の光に照らされ夢のように美しく輝く氷の城があった。
少女は、ここは天国かしら、なんて考えながら階段を上り、氷細工の施された大きな扉を叩いた。すると扉はひとりでに開き、中には氷の玉座に腰掛けた美しい魔女がいた。
少女は魔女を見て再び、やはりここは天国かしら、だってあの方は女神様みたいに綺麗だわ、なんて考えながら一歩一歩、魔女に近付いた。
「あなたが氷の魔女?」
「いかにも」
魔女は青い瞳で少女を見ながら答えた。
なんとまあ、みすぼらしい子がきたものだ、と魔女は少し顔をしかめた。
「願いを叶えてくれるって、本当?」
「ああ、だがタダでは駄目だよ。何か交換できるものはあるかい?」
少女は困った。みすぼらしい見た目の通り、少女は貧乏だ。願いを叶えてもらえるほどの交換できるものなど、持ち合わせてはいない。
魔女は、はぁ、とひとつため息をついた。
「いつもいつも、願いは交換だと言っているのに誰一人持ってきた事がない。皆急いで外に出て、私の庭に生えている雪硝子の百合を摘んでくるだけさ。まあ、どうせ他にやることもないし、それで適当に願いを叶えてやるんだがね。お前さんは、どんな願いを叶えてほしいんだい?」
少女は服の裾を掴んで答えた。
「お父さんの病気を治してほしいの。」
「父親はどんな病気だい?」
少女は続けた。
「お酒を飲むと、私を叩く病気。」
魔女は驚いた。この少女は、父親の酒癖の悪さを病気のせいだと思っているのだから。
「あ、お母さんも同じ病気なの。」
魔女は呆れた。この娘は頭が悪いのではないかと。そんなもの、別の願いをすれば良いのだから。
「親が酒を飲めないようにしてやろうか?それとも殺すかい?簡単だよ。」
すると少女は首を横に振った。
「それは駄目。お酒が飲めないと、余計に怒るの。それに殺すのも駄目。私には他に家族がいないもの。ひとりぼっちになったら、暮らしていけない。」
少女は泣きそうな顔でそう言った。
暴力を振るう親でも、この娘にとっては家族なのだ。
困った顔をしている魔女に、少女は訪ねた。
「魔女さん。願いは何かと交換って言っていたでしょう?魔女さんは何が欲しいの?」
魔女は驚いた。今まで自分の願いばかり言う人々しかおらず、魔女が望んでいるものをくれる者など、いなかったからだ。
魔女は少し考えて、答えた。
「そうだね、此処には氷の花しか咲かないから、一度で良いから春に咲く花を見てみたいねえ。それから私は冷たいものしか出せないから、温かいスープってのを飲んでみたいもんだ。それから...」
言いながら、魔女は慌てて少女に問うた。
「私の事は良いんだよ。それとも何だい。私が欲しいものをお前が持ってきてくれるとでも言うのかい?」
「ええ、喜んで!」
驚いた魔女を尻目に、少女は扉の方へ駆けて行きながら言った。
「私がきっと持ってくるわ!だから魔女さん、1週間だけ待っていてね!」
魔女は少女の姿が見えなくなっても、扉を見つめていた。
それから1週間。
魔女の処には何人か、願いを叶えて欲しい人がやってきた。誰も彼も、魔女の庭の雪硝子の百合と交換だった。
しかし魔女は、心の何処かでこの1週間が待ち遠しくて仕方なかった。
期待しないように、と思いつつ、やはり楽しみにしてしまう自分がいる。
あっという間に1週間がすぎた頃、またあの少女がやってきた。
手には一輪のすみれの花と、鍋と食材。それからマッチ。
「方々探したんだけど、これしか花が咲いていなかったの。」
残念そうにそう報告する少女。しかし魔女はとても喜んだ。
「なんて可愛らしい花だろう!硬くもないし良い香りまでする!それにこの色!美しい!」
少女は魔女の反応を見てニッコリ笑うと、道中集めてきた薪木にマッチで火を付けた。
「少し待ってらして。今から温かいスープを作るから。」
少女が沸騰した鍋に具材を入れると、たちまち美味しそうな匂いが漂ってきた。
少女は出来立てのスープを魔女に渡した。
「熱いから気を付けて飲んでね。」
一口啜ると、身体が一瞬にして暖まるのを感じた。
スープを飲み終えた魔女は少女をまじまじと見て、言った。
「この間私が言った事を覚えていてくれたんだね。」
「勿論よ!」
少女は答えた。
「魔女さんにだって、願いを叶えてもらう権利はあるわ。」
魔女は空になったスープ皿を見つめて呟いた。
「私にはね、もう一つ願いがあるんだよ。」
「あら、遠慮せず仰って!」
少女は意気揚々と答えた。
魔女は一つ息吸って、こう言った。
「私には家族が居ない。だからね、お嬢さん、心優しい、娘が欲しいんだ。」
少女はキョトンとした。どうしたらいいか分からない様子だ。
「あんたは親が叩くのをやめさせたい。だけど逃げる場所もない。だったら私の娘にならないかい?」
驚いた顔の少女に、魔女は続けた。
「だけどね、その魔法をかけると、あんたの本当の両親は、あんたの記憶が消されてしまう。あんた次第さ。どうだね?」
少女は少し考えた後、魔女のそばに寄って来た。
「お母さん、って呼んでも、良いの?」
魔女はニッコリ笑って少女を抱きしめた。
杖を振ると、雪の魔法がキラキラと麓の村へ飛んでいった。
その雪を浴びた村人たちは、少女のことはおろか、魔女の事まで忘れてしまった。
それからは魔女と少女は家族になって、毎日温かいスープを飲んでいると言う。
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