世界一ハッピーな恋をしよう

 

 

「好きです、付き合ってください!」

スーパーでレジ打ちをしていると、学ランを着た青年に、会計中にそう叫ばれた。

「えーっと、ポイントカードはお持ちですか?」

その言葉に、青年は慌てて財布を出す。

「袋は、」

「あります!」

元気よく答える青年に、好印象を持ったが、先程の言葉が頭に響く。仕事中に、同性から、しかも年下に告白されたなんて、初めてだ。

「二千八百円です。」

お札と小銭を出しながら、青年はおずおずと聞いてきた。

「あの、さっきの続きなんですけど、」

俺は小さくため息を吐いて、青年の後ろに並んでいる客を目にする。

「今、仕事中なので、後にしてください。」

そう言うと、青年は会計を済ませたカゴを持ってサッカー台に移動した。

内心は心臓が爆発しそうなくらいだったが、ポーカーフェイスは得意な方だ。何食わぬ顔でレジの仕事を続けた。

 

「高橋マネージャー、今日告白されたんですって?」

パートの人が、バックルームでパソコンに向かっていた俺に言った。いや、まあ、と濁すが、おばさん達にそんな言葉は関係無い。若い子はいいわね、イケメンだったんでしょ、と俺無しで話は広がる。若いと言われても、俺ももうすぐ三十五だ。若くは無い。

「でも、残念ね。女の子だったら嬉しかったでしょう。」

バイセクシャルの俺には性別は関係無いのだが、そうですね、とヘラヘラ笑っていればこの場を凌げる。カミングアウトなんて、職場でしないに越したことはない。

パソコン作業に戻りながら、今日の事を思い出す。

高校生、だよなあ。背が高くて、声も少し掠れていたけど低かった。いくら俺が童顔とは言え、明らかに年上の相手、しかも初対面の相手によくもまあ告白なんて出来たものだ。その度胸は認める。ただ、俺の好みは年上だ。年下は管轄外。接し方も分からない。どう言うのが、正解だったのか。

椅子の背もたれに寄りかかり、ぎしりという音を聞きながら、伸びをする。今の俺には恋愛なんてしてる暇はないかもな。目頭を押さえてからパソコンと睨めっこすると、目が渇いて涙が出てきた。

 

スタッフ全員が帰ったのを確認し、店の見回り、ロッカールームに忘れ物がないかを確認してから、帰る支度をする。時計を見ると、二十四時。今日もやりすぎたな。仕事となると、つい熱中していつも帰りは一人。マネージャーなんだから仕方ないけれど、少しは私生活も大切にしないと、三十五の身体が持たない。もうそんなに若くはないんだから、と自分を叱る。

バックヤードの鍵を掛けて、空を見上げる。満天の星空。少し靄がかかっている気がする。春だもんな。

スーパーの駐車場を出た所で、ガードレールの側に誰かが立っている事に気付く。なんだ、若者がたむろするには何もない場所だ。関わりたくないので前を通りながら横目でちらりと見ると、ガタイの良い男がスマホを片手に突っ立っていた。顔は見ない様にしたが、突然腕を掴まれ、驚いて息が止まるかと思った。

「な、なんっ、」

見ると、今日告白してきたあの青年だった。私服だったから分からなかった。グレーのパーカーに、ジーンズ。一度帰ったんだろう。当たり前か。

「あ、あの、返事、」

返事を聞いてません、と驚く俺をよそに自分の気持ちを話し出す。ずっと好きだった、働く姿が格好良くて、ほとんど一目惚れだった、こんな気持ちは初めてで、自分でもどうしたら良いのか分からずレジで告白したと言う。

「お客さんに対して、真摯に向き合うあなたはとても素敵でした。俺は、そんなあなたを好きになったんです。」

真っ直ぐな言葉。若いからこそ、正直に発せられる台詞。ドラマみたいな展開に、歯が浮きそうになるが、真剣な眼差しに目を奪われた。少し顔が赤い気がする。緊張からか、汗が垂れているその額をそっと拭ってやると、びくりと顔を逸らされたが、気にせず触る。

「君は、まだまだ恋愛経験が少ないんだよ。俺みたいな奴と付き合うより、もっと良い子がいるだろう。」

「あなたが良いんです。」

握られた手は、熱を持っていた。まだ春なのに、夏のような暑さが周囲の空気を変える。

「高橋さん。俺と、付き合ってください。」

その時の俺は、多分相当疲れていたんだろう。彼が可愛く見えて、振るのも申し訳なくて。何よりこんなにアプローチされたのは人生で初めてだったから、思わずこくりと頷いてしまった。青年はぱっと明るい顔で喜んで、小さくガッツポーズをする。そんな彼に、俺は言葉を掛けた。

「取り敢えず、君の名前を教えてくれない?」

 

失敗した。なんて事だ。彼の渡してきた連絡先、というよりも自己アピールのメモを見て、ベッドに倒れ込んだ。枕で顔を潰して、声を押し殺して叫ぶ。

 

小野大河 十五歳 西中学三年生 

 

まさか、あの体格で中学生だなんて思わないだろう。俺よりも大きくて、逞しかった。熱い胸板がパーカーを着ていても目立つ。掴まれた手は大きくて、ゴツゴツしていた。男らしい身体。

興奮しなかった、といえば嘘になるかもしれない。男らしい人は好きだ。だけど、相手は中学生。俺みたいなおじさんと付き合って良いはずもない。一応メモを見て驚いた俺は、「詳しい事は後日」と濁して返したが。

メモに書かれたメッセージアプリのIDを登録し、トークボタンを押すが、いざ何か打とうとすれば俺の良心が躊躇する。十五歳。義務教育中だ、と。

頭を掻き毟って、スマホを投げた。もう今日は脳味噌を使いたくない。どっと押し寄せてきた疲労感に、俺はそのまま眠りについた。

 

「なんで連絡くれないんですか?」

トイレットペーパーを持ってレジに来た小野くんが、開口一番そう言った。

二百九十八円です。」

「答えてください。」

責めるように言いつつも財布から小銭を取り出す小野くんは、律儀だな、と思う。無言でレジを通し、会計を済ませる。しかし、小野くんはその場から離れようとしない。後ろではイラついている客が足を踏み鳴らしていたり、咳払いをしているが、そんな事も気にせず、じっと俺の顔を見続ける。

「お客様。他のお客様の迷惑になりますので、」

「答えてください!それまで、俺はここから離れません。」

ずいと身を乗り出し、俺に詰め寄るその瞳は真っ直ぐで、とても純粋で。思わず見惚れてしまう。

逃げないで、ください。」

はっとして、間近にある顔を押し退ける。小さな声で、答えた。

「後にして。今は、仕事中だから。」

小野くんは嫌な顔もせず、こくりと頷くと、さっさとレジを離れた。その後ろ姿を見送る暇もなく、次の客が大量の商品を持ってやってくる。接客対応をしながらも、頭の中は小野くんのあの綺麗な瞳でいっぱいだった。

 

休憩時間に外に出ると、小野くんが駐車場のガードレールに寄り掛かり、項垂れていた。俺に気付くと、へにゃりとした力のない笑顔を見せる。心臓が痛い。

「高橋さん。」

近寄ってきて、俺をそっと抱き締める。肩が震えている気がする。

「ダメならダメって、言ってください。はっきりとした返事を頂けたら、俺も諦められます。でも、」

ぎゅ、と力を込めて俺の腰を引き寄せる。

「そうじゃなきゃ、俺、ずっと好きなまま、苦しい思いを引き摺らなきゃならないから。もしかしたらって期待をずっと持って、高橋さんの事、ストーカーみたいに追いかけ回しちゃうから。」

今にも溢れそうな涙を唇を硬く結んで堪える。その顔に胸が締め付けられた。そんな顔、しないでよ。君が嫌いなんじゃない。そうじゃないんだ。寧ろ、その真っ直ぐな性格は───

「小野、くん。」

なんとか絞り出した声は、掠れて裏返ってしまった。こんな歳になって中学生相手に緊張するなんて、おかしな話だ。でも、俺が今この子に大人としてきちんと返事をしないと、きっとこの先恋の出来ない青春を過ごす事になってしまう。そんなのは、可哀想だ。

「あのね、俺、もう三十五なんだ。だから、君と付き合うには不釣り合いだよ。」

「高橋さん以上に素敵な人なんていません。」

「それは、君はまだ若いから。恋を知らないだけ。もう少ししたら、きっと可愛い女の子と素敵な恋愛をすると思う。」

高橋さんは、俺が嫌いですか?」

そうじゃない。そうじゃなくて。

「嫌いなら、そう言ってください。」

言えないよ。嫌いじゃないもの。

「高橋さん。」

小野くんの純粋な眼差しに吸い込まれそうになる。仮に彼が俺と付き合って、若い芽を潰してしまったらどうする。そんな勿体無い事していいのか。

───違う。

本当は、逃げているだけ。彼の好意が眩しくて、でも嬉しくて。ただ、俺みたいな平凡なおじさんと付き合ってみて、やっぱり違ったって振られるのが怖いんだ。今はもう、しんどい思いはしたくない。

「高橋さん!」

ぐいと腕を引かれ、胸元に頭が埋まる。ぎゅっと強く、だけど優しく抱きしめられた。胸の鼓動が聞こえる。ドクドクと、とても速い。顔を見ようと見上げるけれど、影になっていて表情は分からない。

「俺は、好きなんです。高橋さん以上に好きな人なんて、きっと現れない。一目惚れも初めてだったんです。スーパーで笑顔で働く優しそうな高橋さんに、俺は確かに夢を見ていたかもしれない。でも、それでも。やっぱり好きなんです。制服を脱いだ高橋さんを見てみたい。働いている時以上の笑顔を俺に向けて欲しい。俺の側にいてほしいんです。」

言われた事がないほどに甘い口説き文句。小野くんの背中に腕を回して、胸に体重を預ける。汗と制汗剤の匂い。それがなんだか色っぽくて、脳に甘い欲情を運んでくる。クラクラするほどに、甘くて、目が見えなくなりそうだ。比喩じゃない。本当に、クラクラしたんだ。頭がずしりと重いような。

「小野く、」

あれ、これなんかおかしいぞ。息が浅くなって、顔が火照ってきた。恥ずかしいとかじゃない。なんだこれ。

「高橋さん?」

はあはあと呼吸の乱れる俺を覗き込み、心配そうに小野くんが声を掛ける。俺の額に触れると、驚いた様子でひょいと軽く持ち上げた。所謂お姫様抱っこだ。恥ずかしくて抵抗しようと試みるが、力が入らない。

「小野くん、ちょっと、何、」

「高橋さん。お店休んだのいつですか。」

なんの関係があるのか。唐突な質問に目を丸くしてしまう。

「え、と、先月も忙しかったから、多分二ヶ月くらいは休日出勤もしてた、かも。」

「帰りましょう。」

「え、」

「熱があります。早く休まないと。過労ですよ、絶対。解熱剤は家にありますか?」

「ま、って、そんな急に。駄目だよ迷惑かかっちゃうから。」

「そんな事言ってる場合ですか!」

大きな声に身体がビリビリと振動した。怒っていると言うよりは、心配している口調。

「スーパーの人には俺が言います。送りますから、ちゃんと休んでください。」

無言で頷くと、よし、と小さく返事をして、髪に触れる程度のキスをしてくれた。それが恥ずかしいやら嬉しいやら、はたまた熱のせいなのか、頬が赤くなるのを感じた。

 

無理矢理に家に連れて帰られた俺は、ベッドの上で横になりながら、台所でお粥を作り出した小野くんの背中をじっと見つめていた。大きくて広い、頼りになりそうな男が、俺の為にご飯を作ってくれている。ただし、彼は中学生。

「薬を飲むには少し何か食べないと。」

と彼は棚にあるレトルトではなく、わざわざ米を炊き始めたのだ。

「卵は平気ですか?アレルギーとか。」

「ん。大丈夫。好きだよ。」

良い匂いがする。手作りのご飯なんて久しぶりだ。人の作ったものなんて、ここ暫くコンビニ弁当しか食べていない。テキパキと動く小野くんを見て、手慣れてるなあと思った。普段から料理しているのだろう。なんでも出来る、良い男。同年代の女の子が放っておくはずがない。どうして、俺なんか。

「高橋さん。」

名前を呼ばれてはっとする。気付くと目の前に、小野くんと出来立てのお粥があった。湯気が立ち上り、食べて下さいと米一粒一粒が訴えている気がした。

「食べられますか?食べさせましょうか?」

「そ、んな恥ずかしい事する訳ないだろ!」

「恥ずかしくありませんよ。高橋さんは病人なんだから、甘えたって良いんです。」

レンゲを口元に持ってきて、あーん、なんて言うものだから、恥ずかしいけれどその優しさが嬉しくて、思わず口を開けてしまった。舌の上に乗ったお粥はとろとろで、卵はふわふわしていて、とても美味しい。うま、と小さく溢すと、ふふと笑う小野くんが可愛くて。中学生らしい笑顔が眩しくて。

ベッドの脇に腰掛けて、俺の額をそっと撫でる。

「美味しいですか?」

どうしよう。こんなに優しくされたら。真っ赤な顔で小野くんを見上げると、解熱剤を、と立ち上がろうとする。その服の裾をぎゅっと握ると、驚いた顔で俺を見た。

「あ、りがとう。」

小さな声に首を傾げる彼は、何の事か分かっていないようだ。何ですか、と顔を近付ける。

「俺の事、よく知らないのにここまでしてくれて。」

その言葉に、くすりと笑う。

「知ってますよ。高橋亮太さん。スーパーのマネージャーで、青果担当。働きすぎてしまうくらいに、仕事が大好きな人。」

「仕事中の俺しか知らないじゃん。」

「それから、」

俺の文句を遮るように、続けた。

「お年寄りが困っていたらすぐに助ける。子供が泣いていたら駆け寄ってあやす。俺が好きって言ったら、絆されちゃうくらいの優しい人。」

絆された?これって、本当に絆されているだけなんだろうか。

「高橋さんの弱味に付け込んでごめんなさい。分かってたんです。高橋さんは優しいから、俺が猛アタックすればきっと付き合ってくれるって。でも、俺だって具合の悪い高橋さんに迫るほど、悪い子供じゃないんです。薬を飲ませて食器を洗ったら帰ります。店でも、もう話し掛けません。年下の遊びに付き合ってくれて、ありがとうございます。」

「遊び?」

「高橋さんにとっては、俺なんかの告白なんて、遊びに近いです。勿論俺は本気でしたけど。高橋さんは常識的な人だから、中学生と交際なんてする訳ないって知りながら、でも、もしかしたらって。少しの間でも、俺の事で悩んで、考えて、俺で頭をいっぱいにさせたかったんです。」

「何、それ。」

熱で頭が働かないけど、小野くんの言っている意味は分かる。無理矢理理由を付けて、俺を諦める気だ。小野くんの服を握る手に、力を込める。だって、そんなの、

ずるい。」

俯いたまま、呟いた。目を丸くしている小野くんの肩に腕を回して、精一杯抱き締めると、慌てて俺を引き剥がした。

「な、にを、」

「逃げるのかよ。」

「逃げるも何も、」

「俺にこんなに悩ませて、小野くんの事しか考えられない頭にして、ときめかせてハイ、サヨナラって、ずるいだろ!」

もう一度抱き締めると、小野くんも俺の背中に手を当ててくれた。

「高橋さん。」

耳元で、声変わりしたての掠れた声が、脳に直接響く。

「それって、俺、期待しても良いんですか?」

返事の代わりに耳にキスを落とすと、背中にある手が頭に移動して、髪を撫でてくれた。

「元気になったら、」

「うん。」

「ちゃんとした返事、下さい。高橋さんの言葉で。俺、待ってますから。」

「うん。」

「今は兎に角、ゆっくり寝て、安静にして下さい。」

「小野くん。」

肩に顔を埋めて、小野くんの香りを堪能した。

「少しだけ待たせちゃうけど、ごめんね。」

 

熱は翌日には下がったけれど、大事を取れと上から言われ、三日ほど仕事を休んだ。その間に小野くんからのメッセージは無し。スマホを何度も確認したけれど、小野くんとのトークルームはまっさらなままだった。

出勤すると、パートの人たちが心配して駆け寄ってきた。働きすぎだ、無理のしすぎだ、これからはちゃんと休めと散々言われ、苦笑いしてその場を凌いだ。久しぶりに袖を通したエプロンに、アイロンがかかっている事に気付く。パートの一人が持ち帰って、洗濯してくれたらしい。お礼をしないとな、と考えながら、売り場に出る。

青果コーナーのキャベツの前に、小野くんが野菜を吟味している姿を見つけた。深呼吸して、近寄る。気付いていないのか、キャベツの葉を剥くのに必死だ。脇腹をつうと撫でると、びくりと反応して、驚いて振り返った後、俺だと分かったからかとびきりの笑顔を向けた。

「高橋さん!」

なんでメッセージくれないんだよ。」

少し不貞腐れてそう言うと、小野くんはきょとんとした顔で返した。

「だって、高橋さん具合悪いのに、スマホなんて弄ってる元気ないでしょ?」

「次の日には熱も下がったよ!小野くんからなんか来てるかなって、何度も確認しちゃったじゃん!」

ひどいよ、と呟けば、へへと笑う。

「俺からのメッセージ、待ってたんですか?」

「あ、違、」

「違くないです。嬉しいですよ。今日は絶対送りますね。」

約束、と小指を差し出すので、渋々結んでやれば、そう言えば、と話を切り出す。

「返事は、どうなったんですかね?」

「え?」

「元気になったらちゃんとした返事くれるって、高橋さん言ったじゃないですか。」

覚えてない。」

「言うと思った!」

言葉とは裏腹に、小野くんは大きな口を開けて笑う。

「逃げるの得意でしょ。高橋さんは。」

「違、そうじゃない!だって、小野くんはまだ中学生だし、もし付き合ったら俺犯罪になっちゃうし。」

「合意の上なら良いじゃないですか。」

「倫理的に、」

「倫理に負けるほど、高橋さんの俺への愛は弱いんですか?」

卒業、したら。」

何がなんでも良い返事を貰おうとする小野くんに、精一杯の返事をした。

「高校卒業したら、ちゃんと付き合おうか。」

「待てません。」

「俺は待てるよ。それまで、誰とも付き合わない。小野くんだけ見てるから。ちゃんと、待ってるからさ。だから、小野くんも少しだけ、我慢して。」

前向きな返事に、少し驚いた後、にっこり笑って俺を抱き締めた。

「絶対ですよ?」

まだ、キスは出来ない。その代わり、小指を絡ませて約束した。