私が初めて彼に会ったのは、医学生として日々勉学に励み、古い下宿屋で暮らしていた頃だった。狭い部屋には机とベッド、それに大量の医学書。
私の故郷の村は、とても小さく、今は父がそこで唯一の医者として働いている。森に囲まれた田舎の病院を継ぐ為、私は必死で勉強していた。
そんなある日の事だった。夕食の買い出しに出掛けた帰り道、ふと目に止まったおどろおどろしい古い建物。
「見世物小屋だ。」
所謂フリークスと言う、普通の人とは違う者をショーとして見せている場所。なかには、酷く残酷な行いをする所もあると言う。医学学校の友人が、先日面白半分に入ってみたものの、人間とは思えない者ばかりだったと話していた。
普段なら、私はそんなものに微塵も興味を示さないが、その日は何故か、見えない何かに惹きつけられるように、気付いたら入り口でチケットを買っていた。
中に入ると、意外と人がいた。前方の席は埋まっている。皆、怖いもの見たさ、というものなのだろう。
パッ、と明かりが真ん中の円形の舞台を照らす。
出てきたのは、足が3本の少女、髭の生えた女、大人とは思えない程小さい男、等。所謂奇形と呼ばれた身体の人間ばかりだった。残酷な描写は今の所無く、登場する人々が踊ったり、曲芸を披露する程度だった。
正直、拍子抜けした。あまりに酷いものだったら、文句の一つも言ってやろうと思っていたのだが、これでは普通のサーカス、いや、それよりも劣る、子供の学芸会だ。
そろそろ帰ろう。そう思って立ち上がろうとすると、急に明かりが消え、見世物小屋の主人らしき男の声が響いた。
「皆さんは、まだ何も見てないに等しい!これからお見せするのは、本物の怪物です!」
スポットライトが当てられ、そこには1人の少年。腕を縄でしっかりと縛られ、座り込んでいる。
主人は手に血塗れの生肉を持った。ツンとした臭いが漂う。腐っている。その肉を嫌がる少年の口に無理やり捻じ込み、鼻に血を擦り付けた。
「嗅げ。食え。飲み込め。」
主人が言うと、少年は深く息をして、それをごくん、と飲み込み、血の匂いを吸い込んだ。
途端に、少年の身体が、筋肉が、震えて膨張し出した。全身の毛が濃くなり、開けた口から覗く歯は牙に変化し、幼かった顔付きがどんどん獣のようになっていく。立ち上がり、グルルル、と唸る。
「ウルフィー、狼男です!」
主人の紹介と共に、少年だった狼は遠吠えを一つ。
観客が一斉に立ち上がって拍手をした。歓声が上がる。
私は、夕食の入った紙袋を抱えたまま、呆然とした。
本物?
いや、そんな事どうでもいい。
紙袋を持つ手が震える。怒りが込み上げてきた。
こんな酷い扱いをあんな年端も行かない少年にするなんて。いくら少年が人とは違うと言っても、縛り上げ、腐った肉を無理やり食べさせる行為、その残酷さに人々は何とも思わないのだろうか。
私は口から血と涎を垂らす獣から目を逸らせ、そっと見世物小屋を出た。
パンを口に運びながら、机に向かってため息をついた。
酷いものを見たものだ。行かなければよかった。
まだ、子どもだった。狼男として出された少年を思い出す。小柄で、幼い顔。10歳くらいだろうか。本来なら、大人が守ってやらなきゃいけない年だ。それを見世物にして、金を儲けている。気分が悪い。
私は突然、椅子から立ち上がると、上着を持って外へ出た。
気の迷いだろうか。本来なら、こんな行動に出る性格ではない。しかし、彼を救わねば、きっと私は永遠に後悔する。そう、思ったのだ。
営業を終えた見世物小屋は、先程とは打って変わって、とても静かだった。裏口に回り、扉に鍵がかかっていない事に安心した。勢いで来てしまったので、なんの道具も持ってきていなかったのだ。
そっと開くと、薄暗い物置。奥から漏れている明かりで辛うじて見える。警戒しながら、中へ進むと、鼻が曲がりそうな異臭がした。
横を見ると、檻がある。糞尿塗れで、犬用の餌が汚い皿に乗せられていた。体をかがめ、中を見る。
少年がいた。
汚れた衣服を身にまとい、ぐったりと横たわっていた。足が鎖に繋がれている。
檻には鍵がかかっていた。何か、こじ開けるものは無いだろうかと辺りを見回す。
「誰だ。」
突然光に照らされ、私は目を細めた。小さな男が、灯りを持ってこちらを見ていた。
まずい。私は檻に寄りかかり、どうにかして言い逃れ出来ないかと考えた。
しかし、そんな私の考えは、無駄に終わる。
「こいつを逃す気か。」
私は小さく頷く。すると男は、私に近付き、頭を下げた。
「頼む。こいつの事、救ってやってくれ。」
意外な言葉にポカンと口を開ける私に、男は続けた。
「もう、見てらんねえんだ。酷い有様だろう。ここに居るフリークスは、殆ど皆、少しだけ普通と違うだけの、ただの人間だ。言葉も理解できるし、自分の世話も出来る。だけどこいつだけは本物だ。そのせいで、動物扱い。いや、もっと酷い。使い捨てられるのが、オチだ。こいつの面倒を見てくれるってんなら、俺は黙ってあんたを逃す。」
そうして、鍵束を渡してきた。
「きちんと教育すれば、こいつはきっと普通の子どもに戻れる筈なんだ。でも、俺たちには主人に逆らう事なんて出来ない。あんたに任せても、良いか?」
私は頷いた。
「必ず、この子を守る。」
「約束だぞ。」
そうして、こっちが檻の鍵、こっちが足枷の鍵、と教えてくれた。
「人が来ないように見張っておく。急いでくれ。」
私は手早く鍵を外し、少年を抱えて出口に向かった。
「有難う。約束だ。」
男に礼を言って、その場を後にした。
部屋に入ると、少年をベッドに寝かせた。身体中汚れていたが、そんなもの、シーツを洗えば済む話だ。
少年は一つ伸びをして、目を覚ました。気付いたら見慣れない場所にいる事に驚き、辺りを見回す。それから私を見て、言葉にならない声を発した。
「あ、う、うう...。」
「君を助けたんだ。今日からは、私が世話をする。もう見世物になるのは、終わりだよ。」
言葉が通じないのか、少年は首を傾げた。
私は自分を指差して、自己紹介する。
「私はダニエル。ダニエル・アルバート。」
「あ、に、」
「ダニエル」
「だ、に、」
「そう、ダニーだ。」
それから少年を指差す。
「君は?」
少年は一生懸命、答えようとする。
「う、る、ふぃ、」
「それは見世物小屋での呼び名だろう?本当の名前は?」
「うる、ふぃ、」
自分の名前も分からないのだろうか。それとも、ずっとその名で呼ばれ続けて、忘れてしまったのだろうか。
私は少年の横に座って考える。
「ウルフィー、か。うーん、ウル...ウフィー...それは変だな、うーん。」
ポン、と手を叩く。思い付いた。
「ウィル、は、どうかな?」
少年を指差し、
「君の名前、ウィル。」
と教えた。
すると少年は笑顔になり、ベッドの上を飛び跳ねた。
「ウィル!ウィル!」
気に入ってくれたらしい。私も満足だ。
「それじゃあ、ウィル。」
私は喜んでいる少年に、声を掛けた。
「まずは、体を洗うぞ。それから食事だ。」
たらいに湯を張って、垢や糞尿に塗れたウィルの身体を隅々まで洗う。本来の肌の色が戻ってきた。意外と、白い。
髪は何回洗っても絡まりが取れなかったので、思い切って短く切った。長かった前髪が邪魔をして見えなかったウィルの瞳は、綺麗な青だった。
さっぱりとしたウィルに、取り敢えず、と私の服を着せる。やはり大分大きかったので、ズボンは紐で縛り、シャツの腕をまくった。
「明日、君の服を買いに行こう。」
そう言いながら、パンを頬張る。ウィルは初めて見る食べ物に、警戒していた。私は少しちぎって、彼の鼻先に持っていって匂いを嗅がせた。
「パンだよ。それとも、肉の方が、良かったかな。」
くんくん、と鼻先をひくつかせてから、ウィルは一口齧った。途端に目を見開き、自分の皿にあるパンを丸ごと口に突っ込んだ。当然、喉に引っ掛ける。
ゴホゴホと咳き込む彼に水を渡す。しかし、コップを握りしめるや否や、それをそのまま頭にかぶった。
「違うよウィル!それは飲むんだ!ほら、口を付けて!」
口元にコップの端を持っていき、飲ませてやると、ごくん、とパンごと喉に流し込み、咳が落ち着いた。
「言葉だけじゃなく、色んな事をおしえてあげなくてはいけないね。」
手でスープを掴もうとするウィルを見ながら、私は言った。
ウィルは物事を知らないだけで、教えれば簡単に覚えられた。1ヶ月も経つ頃には、読み書きは簡単な物だけだが、日常会話は随分上達し、一見すると普通の子どもと変わらない程度になった。
今では食事もフォークを使える。
しかし、風呂と寝る時は赤ん坊のように私にくっ付き、一緒がいい、と言って聞かなかった。
私は歳の離れた弟、いや、息子を持った気分で、仕方ないな、と彼を甘えさせた。
ウィルと過ごすうちに、狼になる引き金も分かってきた。
まずは、見世物小屋でもやっていたように、血の臭い。肉を買ってきて捌いていると、その臭いに反応して狼になった。そして狼になると、自我が崩壊する。判断が出来なくなり、本当に獣のように暴れ回る。暫くして落ち着いてくると、自分で気付き元に戻った。散らかってしまった部屋を見て、私はもうこの部屋で肉を料理するのはやめようと固く誓った。
それから一度だけ、会話は大分出来る様になったがまだ食器の使い方に慣れていない頃、ウィルが手掴みで食べる姿を見て私が笑った。
「食器を使わないと、犬みたいだぞ。」
すると、それが気に障ったのかウィルは腹を立て、狼になった。私に襲いかかり、肩に噛み付いた。私が呻き声を漏らすと、はっとしたウィルは直ぐ様人間に戻り、落ち込みながら反省した。怒りも、狼に変化する引き金だった。
「大分普通の子どもらしくなったな。」
ベッドの上で私の医学書を開いているウィルに言った。内容は難しくて分からないが、図解を見るのが好きらしい。
「もう、私が世話をしなくても良いのかもしれないな。」
その言葉を聞いたウィルが、顔を上げた。
「ダニ、おれのこと、捨てるの?」
「そんなんじゃあないよ。」
不安そうなウィルに私は言う。
「君の家族を探して、本当の家に返してあげたいと思っているんだ。」
ウィルは俯く。
「おれ、家族いないよ。かあさん、おれが小さいときにしんだって、小屋の人がいってた。だからって、小屋にかえるのはいやだ!」
ウィルは私の側へ駆け寄り、私の腕を掴んだ。
「あそこは、いやだよ。いやなことばっかりやらせる。狼になるのもだけど、前にいた、白いかみの毛の、お、オリー?が逃げてから、あいつら、おれを舐めたり、からだにさわったりするんだ。」
そんな事までされていたなんて、初耳だ。こんな子どもに、そんな嫌らしい事をして許されるのか。だからあの小さい男は、逃してくれたのだろうか。
「小屋には戻させないよ。」
ウィルはほっとした顔をした。
「ならば、私が家族になろう。」
ウィルの顔が輝く。
「いますぐ?」
「いや、今はまだ学生だから、卒業して医師の資格を持ったら、村に戻るんだ。その時君を養子として迎え入れよう。私の父も、喜ぶはずだ。君のような利発な子を家族に出来るんだからね。」
「ダニのことば、むずかしくて分からないよ。」
「私が医者になったら、君と家族になろうって話だよ。」
ウィルが途端に笑顔になり、私の頬にキスをした。
「うれしい!ダニ、だいすき!」
そうしてベッドに戻り、顔を枕で隠しながら、へへへ、と抑えきれない喜びを表現した。
「おれとダニ、家族!ずっといっしょだね!おれが、ダニのお嫁さんになるんだ!はやく医者になってね!」
少し勘違いしているようだが、訂正はしなかった。
学校の昼休み。私の弁当を見た友人が言った。
「何、ダニーお前、野菜ばっかりじゃん。こんなんで腹膨れんのかよ。」
「今、家で肉料理出来ないんだよ。臭いを嗅ぐと、興奮する子を引き取ってね。」
「犬でも飼ってんのか?」
良い言い訳が思い付かずにいると、友人が通りがかった女性を呼んだ。
「カリーナ!見てみろよ、ダニーのやつ、これが昼飯だぜ。」
カリーナは私と同じ研究をしている医学生だ。綺麗な金髪を靡かせて近寄り、私の弁当を覗いた。
「あら、ダニー。駄目じゃない。こんなんじゃあ力付かないわよ。」
「犬が興奮するから、肉食えないんだってさ。」
友人が笑う。
するとカリーナは私を見て言う。
「犬、飼ったの?」
「いや...」
私は言葉に詰まる。医学生の男の家に、年端も行かない少年が一緒に暮らしているなんて知れたら、大変な噂になってしまう。
カリーナは気にする風もなく、続けた。
「それなら、外に食べにいけば?美味しいレストランが出来たのよ。今夜暇なら、一緒にどう?」
友人がヒューと口笛を鳴らす。
私は口籠る。急に今夜と言われても、ウィルをいきなり1人には出来ない。
友人が私に耳打ちする。
「おい、何迷ってんだよ。あのカリーナからのお誘いだぜ。ここで行かなかったら、お前、後悔するぞ。」
カリーナは学校内でも人気の美女だ。悪魔と命の交換をしてでも彼女と食事に行きたい男は、山程いる。
「そう、かな。」
「そうだよ!」
友人が力強く言ったので、私は彼女と食事に行くことにした。
「ただ、一度家に帰りたいんだ。それからでも、いいかな。」
「分かったわ。待ってるわね。」
授業が終わると、私は急いで夕飯の材料を買い、ウィルの食事を用意した。1人留守番させられる事になったウィルは、不満そうだった。
「9時には帰るから、ちゃんとシャワーを浴びて、寝巻きに着替えておくんだぞ。」
そう言って部屋を飛び出した。ウィルから「ばか、ダニのアホ!」と精一杯の罵倒が聞こえた気がしたが、無視をした。
「美味しかったわね。」
私と並んで歩くカリーナは、先程のレストランの食事を思い出しながら言った。学校にいた時とは違う、胸元の開いた赤いワンピースを着ている。
「9時に帰らなきゃ、駄目なの?」
「ああ。待ってる奴がいるんだ。」
「そんなに大切なのね。」
彼女の言葉に、少し顔を赤らめたが、次の言葉で我に帰った。
「犬。飼ってるんでしょ?」
ああ、と私は曖昧な返事をした。
突然、腕を組もうとした彼女の手を、私は思わず払ってしまった。
「ごめん。」
謝るしかない。
「いいのよ。私こそ。」
「驚いてしまって。」
「じゃあ、腕、組んでもいい?」
カリーナが、私の腕にそっと触れた。
その少し照れた、嬉しそうな顔を見ると、何故かウィルの事を思い出した。
ちゃんと食べただろうか。シャワーも浴びて、きちんと待っているだろうか。
上の空で歩いていると、あっという間に私の下宿屋に着いてしまった。
カリーナは名残惜しそうに私を見つめる。
そうして背伸びをし、カリーナの赤い唇が私の口に触れた。
私は驚きのあまり、後退りをする。カリーナは笑っている。
「本当、ウブなのね。」
そう言って、また学校で、と手を振り自宅へと向かった。
何が起こっているのか分からない。彼女は、私をからかっているのだろうか、なんて考えながら部屋に入ると、椅子に座ってこちらを睨みつけているウィルがいた。寝巻きに着替えている。
「ただいま。ちゃんと言われた通りにしたんだな。偉いぞ。」
頭を撫でようとすると、ウィルは私の手を叩いた。
「だれ。」
「え?」
「さっきの女。だれ。」
見ると、窓のカーテンが開いていた。この部屋唯一の窓からは、先程私とカリーナがキスをした場所が見える。
私はカーテンを閉め、ウィルの方を振り向く。
「見ていたのか。」
「こいびと?」
「そんなんじゃ、ない。」
嘘は言っていない。
すると、ウィルは私の襟首をぐいと掴み、私の口にキスをした。舌で、しつこくカリーナが付けた口紅を舐める。それから口腔内に、舌を入れた。片手で頭を押さえられ、息が出来ない。
何とか引き剥がすと、今度はしゃがみ込み、私の下半身をズボン越しに舐め始めた。
私は思わず、ウィルの肩を掴んで引き剥がす。
「何をしているんだ!やめないか、ウィル!」
「おれじゃ、ダメなの。」
ウィルは泣きそうな顔を上げた。
「おれのほうが絶対、ダニのこと、すきだよ。」
「私も君が大好きだよ、ウィル。でも私達は、こう言う関係じゃあないだろう。」
ウィルの目が吊り上がる。
「ダニの言ってるすきは、おれのすきとちがう。あんな女じゃなくて、おれが、ダニのこいびと。」
「何を言って」
「おれには、ダニだけ!ダニにも、おれだけ!」「そうだが」
「あい、してる。」
そう言って、またキスをしてきた。
再びウィルを引き剥がす。
「なんで」
「違う。こういう為に、君を助けたんじゃない。」
ウィルの目を見て言った。
「私達は、家族だろう。家族はこんな事、しなくていいんだ。ウィル、君は」
「ちがう!ちーがーう!」
ウィルの筋肉が膨張し始めた。怒りだ。
「おれは、ダニのお嫁さんになるの!だから、キスする!ダニの体にも、さわる!」
「ウィル...」
どんどん狼と化していく彼に、何を言ったらいいのか分からない。
「あの、女のせいだ!」
そう言うが早いか、ウィルは部屋を飛び出した。
慌てて追い掛ける私の目に映ったのは、怒りに我を忘れた狼の姿だった。
外に出た。必死に、ウィルの姿を探す。肺が痛くなるほど全力で走る。
何処だ。ウィル。何処にいる。
その時、道の奥で銃声が聞こえた。
まさかと思い、必死に足を速めた。
角を曲がると、肩から血を流している赤いワンピースのカリーナと、その横に銃を持った警察に足蹴にされている動かない狼。
「ウィル!」
私はカリーナ、ではなく倒れている狼に駆け寄った。気付いたカリーナは、私に近付いた。
「ダニー、その犬...」
「ウィル!ウィル!」
必死で声を掛ける。
「返事をしてくれ...」
泣き崩れる私に、警官が言った。
「その犬、あんたのかい?」
小さく頷く。
「私の、家族だ。」
警官は深くため息をついた。
「その犬が、このお嬢さんをいきなり襲ったんだ。ちゃんと繋いでおかなきゃ、駄目じゃないか。」
カリーナが、肩を押さえて私に近付く。
「ダニー、私、怒ってないから。仕方ないわよ。犬が急に暴れ出すのは、よくある事だもの。」
「そんなんじゃない!」
私は大きな声を出した。カリーナは驚いていた。
「大切な家族だったんだ。ただの犬じゃない。私の、私のせいでこんな事に...」
ただただ嗚咽を漏らし狼に覆い被さる私を、カリーナは寂しそうな目で見つめていた。
3年が経った。
私は医学学校を卒業し、晴れて医師として、村に戻ってきた。
荷解きも後にし、早々に教会へ向かった。事情を知った父が、神父ならきっと快くやってくれるだろう、との事だった。
教会は小高い丘にあり、村が見渡せる。
「こんにちは。お久しぶりです。」
声の方へ振り返ると、私より少し年上の神父が笑顔で立っていた。
「お久しぶりです。エドワルド神父。」
久々の再会に、握手をした。
「無事にお医者様になられたんですね。おめでとうございます。ところで、それが例の?」
神父は、私が傍に大事に抱えていた飾り壺に目をやった。この中に狼の、ウィルの骨が入っている。
「火葬したんです。どうしても、この村に連れてきたくて。」
笑顔のまま、神父は私を教会の裏の墓地へ案内した。其処には、真新しい墓石が建っていた。
「こちらです。名前も、これで大丈夫ですか?」
彫られた名前を見て頷き、ぽっかりと開いた穴へ壺を入れ、優しく土をかけた。
私は墓石の名前を指でなぞった。
ウィリアム・アルバート
私が付けた、ウィルの名前。
自然と涙が出た。神父はそっとその場から離れ、教会の方へ戻り、私を1人にしてくれた。
「ウィル、君の名前、私の苗字にぴったりじゃないか。」
墓石に優しく話し掛けた。
「此処が私の、私達の村だ。待たせてごめんよ。これで、私達は家族だ。」
風が吹き、森の木々を揺らす。
今にも其処から、ウィルがひょっこり顔を出すのではないかと思った。木々の揺れる音が、ウィルが私を呼ぶ声に聞こえ、振り返る。
一匹の狼がいた。私を見つめ、少し首を動かすと、森の奥へと消えていった。
終
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