情報屋×捜査官


暗い路地裏。生ゴミには鼠とゴキブリが群がっている。足元に来た一匹を革靴で踏み潰した。勿体無い。この靴は上物なのに。

ジャケットから携帯を取り出して、一件電話をする。暫く呼び出し音が鳴った後、相手が出た。

「何処にいる。」

「あんたの、目の前。」

路地の奥を目を凝らして見ると、人影があるのに気付いた。ぺたぺたと此方に向かってくる。電話を切って、現れた男に声を掛けた。

「君が情報屋か。」

タンクトップにハーフパンツ、サンダルと言うラフな格好。短く刈り上げられた金髪が目立つ。いや、それよりも目立つのは、耳どころか鼻や口にまで付けられた沢山のピアス。よお、と軽い返事をして、男は近付いてきた。

私は懐からバッジを取り出して、警察である事を示した。

「マルクスだ。マルクス捜査官。」

マルクスさん、と名前を繰り返す男に、捜査官だ、と強調した。

「君は。」

「ジェーン・ドゥ。」

「偽名だろ。それに、男ならジョン・スミスだろう。」

「ジェーンの方が、俺っぽいだろ。」

そう言う男の中性的な顔立ちは、確かに女名の方が似合っていた。

「ではジェーン、」

と話を切り出そうとすると、男は大きな口を開けて笑った。開いた口から覗いた舌の先は二つに割れており、所謂スプリットタンと言うものだった。

「冗談だよ。間に受けんな。はー、真面目な捜査官サマだな。」

馬鹿にされたと気付き、怒りが込み上げてくるが、それを抑え込むように深く息を吸った。

「ドッグスで通ってる。よろしくな。マルクス捜査官。」

握手を求める手を出されたが、無視してやった。私なりの小さな報復である。

「この辺りで薬や違法な銃の売買が行われているようだが。」

「ん。」

「何処のギャングか、誰がボスか、分かるか?」

ドッグスと名乗った男は、腕を組んで考えた。知っている癖に、勿体付けているのだ。

「知ってるけど、」

「勿論、報酬は払う。そのつもりで君を選んだのだからな。」

金の入った封筒を出そうとした手をドッグスは掴んだ。足りなかったか、と思っていたら、彼は私の顔をじっと見て、言った。

「金は、いらない。」

それは助かる。警察の金は税金だ。使わないに越したことはない。

「その代わり、」

顔を近付けたドッグスは、私の口に自分の唇を重ね、舌を絡めて濃厚なキスをした。割れた舌先が器用に動き、唾液を吸い出す。息が出来ずにいると、一度離したが再び吸い付いてきた。ぐちゅぐちゅと涎が絡まり、卑猥な音が響く。腰が抜け、脚から力が抜け、がくりと倒れ込む。

「まあ、こんなもんかな。」

満足したように、口の周りに付いた涎を舐め、ドッグスはニヤリと笑った。馬鹿にされたような気がして、睨み付ける。しかし、彼には効果は無いようだ。気にせず話し出す。

「この辺だと、ブラッズファミリーってギャング集団が取り締まってる。コカインや大麻の売買で生計を立てているみたいだけど、銃の件もそいつら絡みだろ。」

...ボスは、」

「それくらい、自分で調べたら?」

手をひらひらさせて、ご馳走様、とドッグスは路地の奥に去っていった。

 

パソコンに向かっていると、コーヒーを持った同僚に額を抓られた。

「マルクス、また眉間に皺、寄ってんぞ。」

女の子が怖がるだろ、と言いながら私の分のコーヒーも持ってきてくれた。

ギャング集団のボスは、調べても出てこなかった。大体、それで分かるくらいなら、あんな男に頼る筈がない。

キスをされた事を思い出すと、まだ口腔内が熱を帯びているような感覚に陥り、机に伏してため息を吐いた。

あんな若い男に茶化されて、情けなくなる。

思い立って、再びパソコンに向かう。ドッグスについて検索をかける。出てきた情報は、秘密裏に警察に情報提供する謎の男、と言うだけで、本名等の個人情報は全く載ってなかった。

警察のデータベースにも載らない人物とは、一体何者なのか。ギャングについても調べなければならなかったが、興味を持ったのはドッグスについての方だった。

 

「ボスの名前、分かった?」

缶ジュースを飲みながら、ドッグスは尋ねた。私は首を横に振ると、彼はニヤリと口角を上げた。

「役に立たねえな、警察は。」

その言葉に腹が立ち、睨みつけるが、気にする風もなく、ズボンのポケットから一枚の紙を取り出した。

「色々調べたんだけど、コレ、あんたの事?」

古い新聞の切り抜きだった。受け取った途端、手が震えた。それは、私が記憶から消し去りたい過去であった。

「シングルマザーのマルクス一家惨殺、犯人は恋人の男。母親、乳児は死亡。一命を取り留めた息子のケヴィン。」

見出しを読み上げたドッグスは、青くなっている私の顔を覗き込んだ。

「ケヴィン、ってあんた?」

...何が目的だ。」

ドッグスは私の肩を掴み、ぐいと引っ張ると、手首を固めて地面にうつ伏せに倒した。細い身体に似合わず、力が強い。首を圧迫され、息が出来ずにいると、耳元で囁かれた。

「ママの恋人に、抱かれてた?」

否定出来ずにいると、押し殺すように笑った。

「マルクスさんって、色気あるもんな。ガキの頃から男に抱かれてたから、いやらしい身体になっちまったのかな。」

それから私のベルトに手を伸ばし、ずるりとズボンを下げた。尻を優しく撫でながら、指を穴へ挿入する。

「ぐっ、」

「んー、固いな...。」

何とか飲み込んだ一本をぐりぐりと中で動かす。気持ちが良い筈もなく、痛みが増す。

「なあ、本当に使用済み?滅茶苦茶固いけど。」

...ってないっ、」

「あ?」

「あの男に抱かれて以来は、してないっ、」

じゃあ久しぶりなんだ、と呟いてドッグスは2本目の指を入れた。抵抗したかったが、腕を固められて、動けずにいた。何とか脚をバタつかせるが、そうすると中に入れた指をぐり、と曲げられ、感情に反して、身体がびくりと震えた。

「そろそろ良いかな。」

そう言って、ぼろりとモノを露わにするドッグス。細い身体に似合わずそれは大きく聳え立っていた。

ぐりぐりと穴に当てがい、中に挿入れようとするが、そうすんなり入る筈もなく、滑るばかりだった。

「ねえ、」

ドッグスが声を掛けた。

「手、離すからさ、自分で尻持って広げてよ。」

首を横に振ると、掴む力を強められ、ミシミシと手首が音を立てた。

「折っちゃうよ?」

「わ、かった、分かったからっ、」

ぱっと離され、仕方なく自分で尻を広げる。ドッグスは自分のモノを私の中に、無理矢理捻じ込んできた。太腿まで血が垂れる。痛くて堪らず、睨みつける。

「良い顔するよね。ゾクゾクする。」

べろりと頬から耳にかけて舐められ、小さな声で、ケヴィン、と名前を呼ばれると、ふ、と力が抜けた。その隙をついて、ドッグスは奥に突っ込む。

「ひっ、ぐっ、」

「はぁー...キッツ...搾り取られそう。」

そのまま腰を振り始めた。

「あっ、がっ、」

「痛いの、好きなの?マルクスさんも、勃ってるじゃん。」

私のモノに触れ、溢れている先走りを指で掬い上げた。

「違っ、やめ、ろっ、」

「やめて良いの?本当に?」

痛みがどんどん快感に変わっていく恐怖を知っている。あの頃を思い出してしまいそうで、早く終わってくれ、と願うしかなかった。

腰を動かしながら、私の前を扱き出し、今にもいってしまいそうになるのを何とか耐えた。しかし、穴は正直に反応してしまうのか、ドッグスのモノを締め付けて離さない。

何故、私がこんな目に。

それは子どもの頃から行為に及ぶ度に思っていた事だった。

母の恋人は酷いDV男で、よく母を殴っていた。それに飽きると、怖くて押し入れで泣いていた私を引き摺り出し、無理矢理セックスをした。子どもながらに、これは穢れた行為だと感じていたし、なにより恥ずかしくて、誰にも言えなかった。言ったとしても、男は外面だけは良かったので、信じてもらえなかっただろう。

母が何故、あんな男に惚れたのかは未だに理解し得ない。しかし、シングルマザーとして生活する大変さは知っていたので、暴力を振るっても金だけは入れてくれるあの男に、頼らざるを得なかったのかもしれない。

「あー、いきそう。外?中?」

「そ、とっ!」

「じゃあ、中。」

そう言って、ドッグスは私の中に精液を吐き出した。膨張して中に出すそれに反応して、私も果てた。

彼は私の頭を撫でて、笑顔を向けたが、私は彼を睨み付け、クソ野郎、と捨て台詞を吐いた。

「ボスの名前だけどさ、」

下半身を仕舞いながら、ドッグスは言った。

「リチャーズ・エドガーって、白人の男だよ。肩に蛇のタトゥーが入ってる。」

呆然とする私の服を直しながら、軽くキスをした。

「いくら情報の為でも、そんな簡単に身体許すなよ。ケヴィン。」

右耳の赤いピアスがキラリと光った。

 

リチャーズ・エドガーの所在は、データベースで直ぐに出てきた。恐喝、強姦、強盗と悪の限りを尽くしてきていたが、訴訟は全て取り下げられており、逮捕記録は若い頃の万引きくらいだった。恐らく、報復を恐れた被害者が泣き寝入りしたのだろう。

複数の警官を連れて、エドガーの家に向かい、押し入った。中は大麻の匂いが充満していて、それから鼻が曲がりそうな精液の匂い。薬漬けにされた女達が、ソファや床に下着姿で寝転がっていた。女達は女性警官に任せ、私は他の連中を連れて奥へ入った。

奥の部屋では、粉と、栽培中の大麻、意識を失っている女に囲まれて、1人掛けのソファに座っている男がいた。肩に蛇のタトゥー。エドガーだった。警官の姿を見ても、慌てる様子もなく、立ち上がって手を上げた。

エドガーは黙って捕まったが、

「俺が逮捕されたって、世の中が綺麗になると思ったら大間違いだぜ。」

と呟いた。

外では、1人逃げた、と声がし、追いかけたが、バイクに飛び乗られて見失ってしまった。そいつに関しては、手配書を出す事にし、この件は丸く収まった。

 

そう、思っていた。

 

今迄の謝礼をしようと、ドッグスに会いに行った。無事にエドガーを逮捕出来た報告も兼ねて。

いつもの路地裏で待っていたが、事前に電話したにも関わらず、いつまで経ってもドッグスは現れなかった。

この関係が終わる事を恐れたのだろうか。それとも、単純に私を嫌いになったのだろうか。どちらにしても、胸が締め付けられる思いだった。それが何故なのか、その時の私には分からなかった。

その日、結局ドッグスは来なかった。

 

翌日、再び会いに行こうと電話をしたが、今度は留守番電話に繋がるばかりで、声すら聞けなかった。

嫌な予感がした。いや、考えすぎかもしれない。首を振って、気持ちを切り替える。

パソコンに向かい、事務作業をする。しかし、集中出来ない。

ドッグスに名前を呼ばれた事を思い出し、顔が赤くなる。優しく、愛おしそうに、ケヴィンと呼んでくれた。

母が死んで、叔母夫婦の家に引き取られ、幸せに暮らさせてもらったが、叔母夫婦は何処かよそよそしかった。私の事を名前で呼んだのは、片手で数えられる程度しかない。

2度、会っただけの男は、私の名前を何度も呼んだ。無理矢理ではあったが、気持ちが良いと思ったキスは初めてだった。

ドッグスは、何故私を抱いたのだろう。金は用意していった。それを断ってまで、私を抱く理由があるだろうか。

唇の熱が再燃する。あの先が割れた舌が、恋しくて堪らない。

こうしていても、始まらない。私は事務作業を放って、外に出た。

 

町中、至る所で聞き込みをした。しかし、ドッグスの事は知っていても、今彼が何処にいるのか、知っている者はいなかった。

疲れ果て、気付いたら、いつもの路地裏に来ていた。ゴミコンテナから落ちた空き缶が転がっていた。ドッグスが飲んでいたジュースだ。

コンテナに背を預け、座り込んだ。

何処にいる。会いたい。何故会えない。

「ケヴィン...

路地の奥で、小さく名前を呼ばれ、振り返った。暗くてよく見えない。近寄ってみる。声を聞いただけで、唇の熱が上がる。

ドッグスが、壁を背に、腹を押さえて座っていた。血が滴り、地面に血溜まりを作っている。慌ててジャケットを脱ぎ、それで止血する。

「もう、遅いよ...

掠れた声。ヒューヒューと喉が鳴っている。首筋にも、切り傷があった。

「エドガーのとこのやつにやられた。恨まれてたんだなあ。」

「まだ、間に合う。私がいる。」

「これは、罰だ。」

何のことを言っているのか分からないが、ドッグスの頭を自分の膝の上に乗せ、額を撫でた。

「君を死なせたくない。」

「運命、だったんだよ。」

今にも閉じそうな目で、私を見上げた。

「名前、」

「うん?」

「俺の、本当の、名前、」

血塗れの手で、私の頬に触れた。

「ヘンリー。ヘンリー・スパイサー。」

その名字を聞いた途端、心の奥に仕舞ってあった感情が、溢れ出た。

硬直する私を見て、ドッグス、ヘンリーは笑った。

「そうだ、ケヴィン。あんたの母親と妹を殺した男の弟が、俺の父親だ。」

「違う。」

「違わない。事実だ。」

「あんな男と、君が関係ある筈がない!」

涙が、ヘンリーの頬に垂れた。

「泣くな、ケヴィン。」

「泣いてない。」

目を擦る。

「これは、汗だ。」

ヘンリーはふふ、と笑う。

「そんなに暑いか、今日は。」

「ああ、暑いさ。真夏だからな。」

「そうか。」

私の髪を優しく撫でる。慰めるように。

「俺は、寒くて堪らないよ。」

ヘンリーの手がぱたんと地面に落ち、ゆっくりと目を閉じた。

「ヘンリー...

名前を口にして、動かないヘンリーにそっとキスをした。

 

今日もパソコンに向かい、事務処理を済ます。警察の仕事なんて、地味なものだ。

同僚が、ドーナツを持ってきてくれた。私はチョコレートのやつが好きだ。

「あれ?マルクス。」

同僚が、私の耳に触れた。

「ピアス、開けたの?」

「ああ。」

右耳に一つだけ、と言って、まだ赤みが消えない耳を見せた。

「結構、痛いんだな。」

「撃たれた時の方が、痛いだろ。」

同僚は笑って答えた。

耳の痛みは、ピアスを開けたせいだけではない事は分かっている。これは、彼を忘れない為のものだ。

私の耳には似合わない、赤いピアスは光を反射させ、キラキラと光っていた。