死にたがりさんと殺人鬼さん


重い荷物を抱えて、山の中をひたすら歩いた。こんなもの、早く捨ててしまいたいのだが、もう少し、もう少し奥で、と思っている間に、林の入り口が見えないほどに中へ来てしまったようだ。

力のある私でも流石に疲労が溜まってきた。その辺の木の根にどかりと腰を下ろし、荷物を肩から投げた。投げたって、大したものが入っている訳ではない。ぞんざいな扱いに、自分の大雑把な性格に嫌気がさした。

もう少し慎重にやるべきだったのに、気分が昂ってミスをしてしまった。

その為、こんな所まで捨てにきたのだ。無駄な労力である。私は、無駄なことは嫌いだ。なるべく効率よく生きていきたいものだ。その方が、色々と都合が良い。

そんなことを考えていると、背後で枝が踏み折れる音がした。誰かいるのか、こんな所に、と背中に隠し持っていたナイフに手を伸ばし、振り返る。

色白の、背の高い男がロープを持って突っ立っていた。

首には何か、模様の様な跡がある。鬱血しているようだ。すらりとした手首には、包帯が巻かれていた。白い肌を嘲笑うかのような真っ赤なピアスが、耳を飾っている。

貴方も、」

想像していたよりも低い声で、男は言った。

「死ににきたの?」

貴方も、と言う事は、この男はここに自殺しにきたのか。手に持っているロープで首を括るのか、それとも奥にある崖に身を投げるのか。どちらにしろ、私の目的とは全く違う物だった。

「いや、私は、」

「それは何?」

私の返事を待たずに、男は私の傍にある荷物に興味を持ったようだった。麻袋には、血の滲みが広がっている。興味を持たない訳もないか。

「なんでもない。」

「なんでもない訳、ないよね?」

男は袋に近付き、勝手に開け始めた。まあ、仕方ない。何かあれば、殺せばいい。

中身は、屈強な男の死体であった。四肢を切断され、所謂達磨の状態で中に詰め込まれていた。

私が殺した。私の趣味は、人殺しだ。

幼い頃から、動物の死骸を見るのが好きであった。昆虫や鳥の死骸が細かくされ蟻に運ばれる様を見ては、興奮したものだ。いつしか対象物は大きくなり、ある日、インターネットで人の四肢切断の動画を見付け、興味を持った。その動画は女であったが、女はすぐに気を失って腕を一本切られる頃には気絶していた。もっと恐怖に慄く人の姿を見たい、そう思った私は、とある掲示板に書き込みをし、カラダを売った。しかし、目的は金ではなく、相手の男を殺す事。私の体を舐め回す男の脚にナイフを突き立て、指を一本ずつ切り落とし、腹を裂き、最後には喉を掻き切った。その時、私はこの上ない性的快感を覚えたのである。

拷問し、殺す事。それこそが至高。

ただ、やはりその後処理をしなくてはいけないのは確かで、それが大層億劫であった。なるべく一箇所には捨てず、県を跨いでは様々な場所に捨ててきた。

今日は車で二時間かけて、この山まで来たのだ。こんなところで通報されては堪らない。

しかし、男は私の心配をよそに、袋から顔を上げると、にっこりと笑って私を見た。

「お兄さん、殺し、得意なの?」

笑顔の裏に何があるのか、全く読めなかった。

「お願いがあるんだけど。」

脅しか。金か。それとも、女でも殺してきて屍姦したいとでも言うか。変わった空気を身に纏う男だ。それもあり得る。

「僕の事も、殺してよ。」

耳を疑う言葉であった。

今迄、何人も殺してきた。命乞いは何度も聞いた。拷問に耐えきれず、いっそ殺してくれ、という台詞を。しかし、何もしていない人間にそう言われたのは、初めてであった。

驚いた私は、思わず手に持っていたナイフを落とす。

あらら、と言いながら、男はナイフを拾い上げ、私に手渡した。

「まあ、立ち話も何だしさ。」

そこに座りなよ、と大きな木の根が張り出たところへ、私の手を引いて連れ、座らせる。隣に腰を下ろした男は、顎に手を当て、さて何から話そうかなあなんて呑気なことを言う。

「僕はさ、」

男は手首の包帯を触りながら、話し始めた。

「死にたいんだよね。綺麗なうちに。」

僕綺麗でしょ、と笑い掛ける男は、私からみても美しい容姿であった。端正な顔立ち。すらりと伸びた手足。マネキンかと見紛う程に恵まれた顔と体型。「綺麗」という言葉は相応しい、と思った。

「モデル事務所も辞めちゃったし、僕にはもう残ってるもの、なーんにもないから。」

見えない空を見上げて言う男の横顔に、見覚えがある気がした。確か、何かの広告になっていなかっただろうか。

「でも、死ぬのって大変なんだね。」

ロープが切れちゃったよ、と手に持っていた縄を見せる。細い物では、成人男性の体重に耐えられず切れてしまうのは良くある事だ。首の鬱血はそのせいか、と納得した。

「お兄さん、僕の事、殺してくれない?」

「そんなリスキーな事は、出来ない。」

第一、私は苦しむ姿を見たくて殺しをしているのだ。喜んで死なれても、嬉しくない。死ぬと言う恐怖、私に命を握られていると言う不安から宿る濁った目の色が、私は好きなのだ。自殺の手伝いなど、専門外である。

それに、モデルと言っていた以上、この男を殺すと言う事は、有名人を殺す事になる。一般人を殺すよりも足がつきやすい。そんな事は御免である。

「どうして?僕の事、嫌い?」

「よく知らないが、君を殺す事に私にはメリットがない。」

ちぇ、と舌打ちをするが、すぐに私に振り返る。

「じゃあ、僕と少しお話ししようよ。打ち解けたら、気分も変わるかもしれないよ?」

見合いじゃあるまいし、そんな訳がないと思ったが、眩しいその目に私は頷くしかなかった。なんて事はない。話しても、拒否すればいいのだから。

「じゃあね、僕からね。僕はね、都内のマンションに一人暮らし。猫が好きだけど、ペット禁止だから飼えないんだ。食べ物だと、ガレットが好き。」

「ガレット?」

聞き覚えのない単語に、首を捻ると、お兄さん世間知らずだね、と笑われた。

「蕎麦粉のクレープだよ。」

最初からそう言えばいいものを、わざわざ洒落た名前で呼ぶのだから、若者と言うものは面倒臭い。

「お兄さん、見た目より結構年上?」

「さあ、どうだろうな。」

教えてよ、僕は十九だよ、と言う男の言葉を無視した。個人情報を喋るつもりはない。漏れでもしたら大変だ。

「名前、教えてよ。じゃなきゃずっとお兄さん、って呼ぶ事になっちゃう。」

何がいけない。」

「殺してくれる人の事、もっと知りたいよ。」

「私は、知る必要はないと思うが。」

ぴしゃりと言って退けると、男は頬を膨らませ、腕を組んで私に文句を言い出した。

「そういうの!そう言うのさあ、良くないよ。お兄さん友達いないでしょ。僕はお兄さんと仲良くなって、殺してもらおうと思ってるのに、お兄さんがそうやって壁を作るんだったら、僕もう知らないからね!」

なんだ、この程度で諦めてくれるのか。ならばと立ち上がろうとほっとしたのも束の間、男は私の肩をぐいと押し倒し、私の上に跨った。

「何をする。」

「僕の自由に、やらせてもらうよ。」

そう言って、私の唇を自分の唇で塞ぐ。突然の事に動けずにいると、それを良い事に舌を捻じ込ませてきた。私の舌を吸い、上顎を擦るように舐めとる。何がそんなに美味いのか、唾液をごくりと飲み下す。はくはくと口を動かす私ににやりと笑い、首筋に吸い付いた。やめろ、と言いたかったが、声が出ない。声も飲まれてしまったのだろうか。そんな訳はない。驚きすぎて出ないだけだ。

「お兄さんが僕の事殺してくれないと、セックスしちゃうよ。」

私の股間を揉みしだくその手付きは随分と手慣れており、ああこの男はそっちの趣味かと納得した。

「ねえ、お兄さん。」

自分の服を脱ぎながら、男は言う。

「お話し、しようよ。お兄さんの事知りたいし、殺して欲しいんだ。」

分かった。分かったから、退いてくれ。」

了承すると、にっこりと笑顔を見せ、簡単に退いてくれた。なんだ。案外聞き分けが良い。

服を正しながら、男を見る。半裸のままで私の隣に座る男の身体には、無数の火傷や切り傷があった。目を離せずにいると、僕、綺麗?と尋ねてきたので、そうだな、とても綺麗だ、と返すと、えへへと笑って私に口付ける。

「お兄さん、優しいね。好きになっちゃいそう。」

「そうか。」

「素っ気ないなあ。もっと、僕を見て興奮したーとか、なんか無いの?」

「生憎、そっちの趣味は無い。」

私が性的興奮を得られるのは、拷問と殺しの時だけだ。男に抱かれる前に、殺してきた。男の身体に興奮はしない。血に、興奮するのだ。

つまんないの、と言う男は、渋々服を着た。あの白く傷ついた肌にナイフを当てても、この男は喜ぶだけで、私を恐れはしないのだろうな、と思うとため息が漏れた。それを聞いた男は、お兄さんもつまんないの?等と聞くものだから、そうだな、と返す。

「君が大人しく私の前から去ってくれたら、私は安心するよ。」

「そんなのは、ダメ。」

座り直し、私の腕に自分の腕を絡ませ、頭を肩に乗せる。

「お兄さんには、僕を殺してもらわなくちゃ。」

それが面倒臭いからため息が出ると言うのに。分かっていない。

「お兄さんの事、話してよ。」

仕方ない。少しだけ身の上話でもしてやるか、どうせ嘘をついたって分かりはしない。

「そうだな、」

私は顎に手を当て、考えてから話し出す。

「私は、父の暮らしていた家で今は一人暮らしをしている。仕事は会社員。趣味は、映画鑑賞。」

「会社員なの?」

へえ、と目を丸くする。

「人殺しなんてしてるから、仕事して無いかと思った。」

本当は、死んだ父の遺産で暮らしているので、男の言う通り仕事なんてしていないが、会社員、と言った方が良いだろう。

「ね、ね、どうやって殺すの?」

「適当に見繕った男を殺しているだけだ。」

「男だけ?女は?」

「女は、すぐに気絶して退屈だからな。男が良い。屈強な男ほど、長く楽しめる。」

お兄さん鬼畜だね、とくつくつと笑う。

「拷問するの?」

「そうだな。」

「じゃあさ、まず、どこから切り落とす?」

行為に及ぶ時を思い出して、そうだな、と考える。

「まずは、足の指、だな。」

「なんで?」

「足の指を切り落とすと、人間は歩けなくなるんだ。指というのは大切な部位なんだよ。」

へえ、と感嘆の声を漏らす。

「次は?」

「太ももを串刺して、腱を切る。そうすれば、逃げられない。」

「でも、手を使って動けるでしょ?」

「手は、その後だ。」

私は、指を切り落とすのが一等好きだ。爪を剥いで悲鳴を上げているところに一本ずつ切り落とす時の快感は、計り知れない。だから、喉を切る直前にやる。楽しみは最後の方に取っておくタイプだ。

「ねえ、僕の手、見て。」

長い腕をスッと伸ばし、男は自分の手を見るように私を促した。

「この指、綺麗でしょ?」

「ああ。」

「これ、切り落としてくれないかな。」

「君は、泣き叫んだりしないだろうから、そんな事はしない。」

そっか、と呟くと、私の背中に手を回し、さっとナイフを奪い取った。

慌てて立ち上がり、取り返そうとするが、私の腕の間をするすると抜け、逃げ回る。

「僕の事殺す、って約束しないと返さないよ!」

踊るように走り回る男を見て、童話の赤い靴を思い出す。死ぬまで踊らされる、少女の話。あれは、最後はどうなるのだっただろうか。

痺れを切らし、麻袋に死体と一緒に入れてあった斧を取り出し、男の足元目掛けて振り下ろした。小さく叫ぶと、切り落とされた右足を見て、笑い出す。

「やった!やっとやる気になってくれたんだね!」

嬉しいよ、と私の肩に腕を回し、唇を重ねる。

馬鹿にされているようで、ふつふつと怒りが湧いてきた私は、そのまま男の舌を噛み千切った。血だらけの口を三日月のようにして笑う男。最早言葉は出てこない。喘ぎのような笑い声が林にこだまする。

左足も切り落とし、ナイフを持っていた右腕も落とした。取り返したナイフで、男の左手の指を一本ずつ切っていく。ニヤニヤと笑う男。股間に目をやると、そこは立派に勃ち上がっていた。

薬指まで落としたところで、男は私の首筋に噛み付いた。痛くて頭を殴ると、けらけらと笑う。

綺麗なままで死にたいと言っていた男。こんなみっともない姿で死んで、良いのだろうか。

残った小指をくいくいと曲げて、何やら合図をする。その先を見ると、切れたロープが落ちていた。男の意図を汲んで、それを手に取り男の首に巻きつけ、思い切り締め上げた。

苦しそうな息遣いとは裏腹に、男は終始笑顔であった。

無くなった手で必死に私を求める。浅く息の漏れる唇を自分の唇で塞いでやると、静かに目を閉じ、かくりと力が抜け、呆気なく死に絶えた。

こんなものか。こんなものだったか。

殺すという行為は、こんなにも呆気ないものだっただろうか。

人を愛したことはない。それでも、一瞬だけ、この男との会話が楽しかった事実は拭えない。

落ちている男の指を拾い上げ、口の中に放り、私はそれをごくりと喉に流し込んだ。