僕は、自分の顔が大嫌いだ。

顔だけじゃない。生まれつきのアトピーのせいで、身体のあちこちが真っ赤で、引っ掻き傷だらけ。でも、仕方ないじゃないか。痒いんだもの。

掻いていては治りません、って病院の医者に言われたけど、搔かずに済むならとっくに治ってる。ストレスもあるかも、なんて言われたりもしたけど、アレルギー持ちで食べたいものを我慢して、こんな見た目で学校に行ってるんだ。ストレスにならない訳がない。

「エヴァン。エヴァン・チャールストン!」

腕を掻くのに必死になっていたら、先生に差された事にも気付かなくて、大きな声で名前を呼ばれた。周りはくすくす笑ってる。馬鹿にされている様な気がして、僕は学校では俯いて過ごす事が多い。幸い苛められたりはしていないけれど、皆気持ち悪がって近寄らないだけ。

僕だって、友達が欲しい。

 

今日は特別暑い日だけど、僕は長袖のパーカーを羽織っている。腕を出したくないからだ。顔でさえこんなに荒れているのに、掻き毟った腕なんて人には見せられない。行き交う人々は皆半袖。お洒落なTシャツ。タンクトップ。いいなあ。皆肌が汚い事で悩んでなんていないいんだろうな。

新聞屋さんが目に入って、僕の好きなアーティストの記事が載っている事に気付いた。大規模なライブが開かれたらしい。一部買う。人前に出られるほどの自信って、どこから湧いてくるんだろう。憧れちゃう。僕には一生無理だろうけれど。

ページを開くと、最近話題になっている殺人事件の記事が大きく出ていた。美人ばかりを狙った犯行。キラービューティだって。変な名前。もう少し捻った見出しをつけられなかったのだろうか。僕とは無縁だろうな。美とは正反対のところにいるもの。犯人は男の可能性、って言っても、こういう新聞記事は当てにならない。「犯人が醜いから、美に執着するのでは」と解説が書いてあったけど、さっさと読んで、僕はアーティストの記事だけ取ってゴミ箱に放ってしまった。

本屋に寄って、宿題で出たシェイクスピアについての本を買う。煌びやかな世界。歌劇。その頃の時代の資料も手に取って、ペラペラと中身を捲る。綺麗な衣装だな。皆、自分が一番美しいって誇らしげに描かれている。そんな自信、僕には無い。こういう時代の本を読むのは苦手だけれど、仕方がない。いくつか手に取って、レジへと向かう。男性店員が僕の顔をちらりと見て、目を逸らした。こんな汚い顔、直視できないよね。当然だ。それでも、あからさまな態度を取られたら、僕だって傷付く。本屋を出て、深いため息を吐いた。

大通りを歩いていると、路地に入っていく男女が見えた。もう夕方だし、そんな事もあるだろう。珍しい事じゃない。女はけらけら笑っている。楽しそうだ。恋をするって、そんなに楽しいのかな。僕には分からない。

通り過ぎようとした時、小さな悲鳴が聞こえた気がした。あまりに小さく、短い声だったので、果たして悲鳴かどうかも分からなかったけれど、思わず路地を覗いてしまった。

 

この行動が、僕の運命を変えるなんて思っても見なかった。

 

路地の奥、暗い中で絡み合う男女。そう。そう見えた。しかし、女の足は浮いており、力なくぶらりと垂れ下がった手。よく見れば、首には縄が巻かれている。

男が、女を絞め殺していた。

思いもよらない光景に、声が出そうになるのを手で押さえた。見付かったら、僕も殺されてしまう。女の金髪が吹いてきた風で揺れる。と同時に男は動かなくなった女を放り投げた。

こっちに来る。まずい。隠れなきゃ。慌てて側にあったゴミコンテナの裏に隠れて、男が通り過ぎるのを待つ。息の漏れる音が聞こえているんじゃないかと心配になったけど、どうする事も出来ずに、僕は必死にパーカーの袖で口を塞いだ。コツコツという革靴の音が響く。目を瞑って神に祈った。音が止まる。と同時に僕の上に影が出来る。

「何してんの?」

男が、僕を上から見下ろしていた。ヒュ、と喉が鳴る。声が出ない。どうしよう。見られた。見付かった。殺される。

「こんなに暑いのに、そんな格好して。もっと涼しい服を着なよ。」

男の優しい言葉なんて、耳に入ってこない。慌てて逃げようとするが、落ちていた新聞に足を滑らせて転んでしまった。顔から地面に倒れ込んだ僕を見て、男は目をぱちくりさせた後、大きな声で笑い出した。

「面白いね、君。」

面白くなんか、ない。怖い。誰か、助けて。人を呼ぼうと口を開けると、男が僕の髪を鷲掴み、無理矢理顔を上げさせた。目の前にいる男は、とても綺麗な緑の目をした、端正な顔立ちの美青年だった。

「怯えてるね。可愛い。」

震える唇に、キスをされた。驚いて彼の顔を手で退けようとするが、力が強くて離れられない。それを良い事に舌まで入れて、上顎を擦る。生きてきた中で知らなかった快感が、僕を襲う。長い舌が喉奥をこり、と舐め上げた途端に、背中に電気が走ったかのように、僕はびくりとのけぞった。ジーンズの股間がじわりと湿ったのが分かる。

「はは。喉イキしちゃった?初めてかな。こういうの。」

「や、やだっ、」

「ねえ、名前なんて言うの?」

「教えない!」

「教えてくれなきゃ、殺しちゃうかもよ?」

殺す、と言う言葉の重みがずしりと僕の肩にのしかかる。なんとか声を振り絞って、名前を告げた。

「え、エヴァン。エヴァン・チャールストン。」

「エヴァか。良い名前だね。」

「エヴァン、です。」

「エヴァが良いよ。可愛いエヴァ。俺は、そうだなあ。アダムとでも名乗っておこうかな。」

アダムとエヴァだ、と彼は優しい笑顔を向けた後、再び僕に口付けた。

 

何故だか僕は、彼、アダムとカフェに入った。怖がらせたお詫びだよ、と言って彼はトールサイズのコーヒーを頼もうとしたけれど、カフェインが駄目な事を告げると、カフェインレスのソイラテを注文してくれた。

窓側の明るい席で、対面に座る。ちらりと覗き見るが、本当に綺麗な顔をした人だ。モデルみたい。肌も白くて、この人が殺人鬼なんて誰も思わないだろう。

「貴方は、その、」

「巷で噂のやつだよ。キラービューティだっけ?変な名前付けられちゃったよね。」

やっぱりそうか。あの女性も美人だった。でも、新聞には「犯人は醜い」って書いてあったのに、こんな男が殺しを行なっているなんて誰も信じないだろう。

不意にすっと伸びてきた手に、怖くて震えてしまう。そんな事お構いなしに、アダムは僕の赤毛を撫でた。

「綺麗な髪だ。美しい。君は、美しいね。」

殺したくなっちゃうよ、と笑って言う。なんて冗談を、と思ったが、彼の目は僕のアトピーだらけの顔をじっと見て、愛おしそうに触れる。なんだか心地よくなって、頬を手に擦り付けてしまったけど、ハッとして慌てて俯いた。

店内に人が増えてくる。この時間は、カフェが混み合う。冷房の効きも悪くなって、汗がたらりと首をつたう。それを見たアダムは、その汗を指で拭いながら、僕に問いかけた。

「何故、パーカーなんて着ているんだい?」

「それは、」

「暑いなら、脱げばいい。」

僕は袖を握りしめて、彼の顔を覗き込んだ。綺麗な緑の瞳が、僕を見透かす様な気がして、なんだか嫌な気分だ。そっと僕の手に触れて、袖の間に指を入れる。掻き毟って薄くなった皮膚をつう、となぞられて、僕はびくりと反応してしまう。背中に汗が吹き出して、怖い。彼の触り方は、なんだか怖い。

「こんな事言うのもアレだけど。」

僕の腕を触りながら、アダムは言った。

「君はもっと肌を出した方が良い。」

せっかく美しいんだから。と言う彼の顔は、とても嘘をついている様には見えなかった。

「でも、こんな汚い肌、見せられない。」

「汚くないよ。それに、」

裏側に指を移動させて、優しくかり、と引っ掻いた。耳まで赤くなる僕に、くすりと笑う。笑顔も格好良い。

「長袖の摩擦で、余計に痒くなるんだよ。治したいなら、寧ろ肌を露出させて、衣擦れを抑えた方が良い。保湿液をたっぷり塗って。きっと治るよ。大丈夫。」

まあそのままでも充分綺麗だけど、と言って彼の指は僕から離れ、コーヒーを啜った。

「ねえ、エヴァ。」

僕の名前を馬鹿にするでもなく、優しく呼ぶ。

「もっと君と話したいな。こんな人の多いところじゃなくて。」

僕を殺すの。」

「違うよ。ただ、話したいだけ。君は俺が殺すには、勿体無いくらいだから。」

行こうか、と席を立つと、僕の腕を引っ張って連れて行った。

 

着いた場所は、所謂タトゥースタジオ。中に入ると厳ついスキンヘッドの男の人が、にこやかにアダムを迎え入れた。ツルツルの頭には、たくさんのタトゥーが入っている。

「よお、久しぶりだな!手首のやつ以来か。なんか入れるか?」

「今日は、俺じゃなくてこの子をお願いしたくて。」

そう言って、僕を前に出す。驚いてアダムの顔を見ると、大丈夫、と声を出さずに口を動かした。男は僕をじっと見て、これは駄目だ、と呟いた。

「アレルギー持ちだろ?タトゥーは向かない。」

そう、僕は金属アレルギーもある。いくらアダムに言われたからって、これは無理だ。

「黒インクのみなら、平気だろ?器具もしっかり消毒すれば、大丈夫だよ。」

「そうは言ってもなあ。」

頭を掻きながら、男は躊躇する。当たり前だ。こんなアトピーだらけの僕なんかにタトゥーを入れるリスクは高すぎる。アダムの考えている事が分からない。どうしたら良いだろう。

「手首に、入れて欲しいんだ。彼が掻き毟らないように。」

僕のパーカーの袖を捲って、まだ綺麗な手首を見せた。男は顎に手を当ててふむと考えてから、小さいのならいけるかも、と呟いた。促されて、黒いソファに座る。周りにはたくさんの器具と、インク。男がファイルを持ってきて、どんなのが良いかと聞いてきた。それをアダムが覗き込む。

「蛇は無いの?」

「この坊主に蛇?似合わないだろ。」

それに範囲が狭すぎる、と男は首を振る。

「エヴァは?どれが好き?」

「分からない。あんまりこういうの、興味持った事無いもの。」

ぱらぱらとページを捲って、アダムは考える。何故タトゥーなんだろう。ゆっくり話したいって言っていたのに、こんなところに連れてくるなんて。やっぱり美形でも、変な人だ。

「じゃあ、羽根はどう?」

「羽根か。一枚くらいなら、いけるかもな。」

男は器具に手をかけて、僕の手首も消毒しだす。突然始まった施術に、慌て出す僕。

「ちょ、っと待って。麻酔とか、」

「そんなもん無いに決まってんだろ。タトゥーの事何も知らねえのか。」

痛みに耐えてこその美だ、とか言い始めて、僕は怖くなって震え出すけれど、アダムが僕の肩をがっしりと掴んで離さない。耳元で、優しい声で諭される。

「大丈夫だよ、エヴァ。君がもう二度と掻き毟ったりしないように、約束の代わりにタトゥーを入れるんだ。そうすれば、俺を思い出してくれるだろう?」

「っ、」

「少し痛いかもしれないけど、きっと君の肌も綺麗になる。そうしたら、もっと美しくなってしまうよ。皆が妬ましく思うくらいに。」

そう言って、軽く耳を食んだ後に、ゆっくりと舐めた。恐怖と快感で、真っ赤になってしまう。

「おいおい、イチャつくなら他所でやれよ。」

「良いじゃない。どうせこの店誰も来ないんだから。」

失礼だな、と言いながらも、男は僕の左手首に傷を作っていく。痛い。怖い。でも、何故だろう。アダムに名前を呼ばれると、それが麻酔みたいに効いて、痛みが少しだけ和らぐ気がした。

「俺もね、入ってるんだ。右手首に。天使のタトゥーだよ。」

俺の天使が落とした羽根だ、とアダムは嬉しそうに僕の頬にキスをした。

 

じくじくと疼くそこには、ガーゼが当ててある。三日もすれば痛みは消えるだろうと男は言った。消毒を忘れずに、と滅菌ガーゼと消毒液を貰って、僕とアダムは店を後にした。

次にアダムに連れられてきたのは、小さなモーテル。庭にはプールもあるけれど、誰も使っている気配はなく、水は汚れていた。古くて、今にも壊れそうなボロ屋。二階の一室に入ると、カビ臭い匂いが充満していた。

「こんな所でごめんね。転々としているから、住めればどこでも良いんだ。」

ベッドに座り、隣に来るように促され、少し戸惑いながらもそっと横に座った。僕の髪をさらりと撫でて、耳を触りながらそのまま頬、首へと移動する手。

「エヴァ。こう言う事は、初めて?」

「初めて、って、」

肩を押され、押し倒された。べろりと僕の鼻を舐めると、そのままキスをして、ゆっくりと服を脱がせていく。

「警戒心が無いよ。殺しはしないけど、俺は君が気に入っちゃったから。」

露わになった胸に吸い付き、アダムは言った。

「心配になっちゃう。誰とでもしてるのかもって。」

「し、てない。しないよ。こんなっ、」

「俺だけ?」

首を縦に振ると、再びキスをされた。今度は舌を絡ませて、唾液を含んだ音がくちゅくちゅと脳内に響き渡るほどに、卑猥なキス。

「あ、はっ、」

息をする間もなくアダムの舌は僕の口腔内を犯す。味わうかのように、ゆっくりと、嬲るように乱暴に暴れる舌に、僕は股間が痛くなる。

口を離されると、思わず、あ、と名残惜しい声が出てしまい、恥ずかしくて口を手で覆った。そんな僕を見て、アダムは嬉しそうに笑う。

「キスが好きなんだね。気持ち良い?」

否定も肯定も出来ないでいると、今度は口の中に指を突っ込んで、喉の奥をかりと引っ掻いた。嗚咽を漏らすと、優しく上顎を擦る。

「吸ってごらん。唾液を絡ませて。そう、上手だ。」

味がするはずもないそれを一生懸命に舐めると、なんだか変な気持ちになってくる。どうしてか、アダムの指が甘くて官能的な味に思えた。無花果(イチジク)のような、禁断の味。

服を脱がされ裸になった僕の身体は、当然アトピーと掻き毟りの傷だらけのはずなのに、アダムはそれを気持ち悪いとも思わないのか、傷を一つ一つ堪能して舐めるように口付けを落とす。

「綺麗なエヴァ。俺だけのものだ。」

舐めていた指を後ろ穴に宛てがい、ずっと挿入すると、違和感を感じたけれど、ゆっくりと抜き差しを繰り返すうちにそれは快感へと変わっていく。

「ア、ダム、アダムっ、や、」

「嫌なの?」

抜こうとする彼を涙目で見る。

「違、変なんだ、僕、こんなの初めてで、どうしたら良いのか、」

零れ落ちた涙を舌で掬うと、彼は僕にまたキスをする。

「気持ちいいって事だよ。俺のエヴァ。一つになろう。」

自分も服を脱ぎ捨て、そそり立ったものを僕の中に挿れる。圧迫感で呻き声が出て、でもどうしようもなく気持ちが良くて、泣いてしまう僕の頭を撫でてくれるアダムは人殺しとは思えないほどに優しかった。

「ああ、気持ちいいよ。エヴァ。君の中は温かくて、俺を離したくないみたいに吸い付いてる。」

「アダムっ、あ、んんっ、」

「傷も綺麗だけど、約束して。タトゥーが俺たちを繋いでいる限り、もう掻き毟らないって。君は、もっと綺麗になるべきだ。」

「そ、んな、我慢できな、ひあっ、」

ぐっと奥まで突かれて、背中がのけぞってしまう。入っちゃいけないところに、入ってる。どうしよう。目がチカチカする。

「あ、あ、」

「約束しなきゃ、もっと奥まで挿れちゃうよ。」

腰を動かし、アダムは僕の最奥をコンコンと刺激する。その度に僕は精液をたらたらと流す。途端に、アダムは僕の足を持ち上げて、ぐぽ、と本来何かを挿れるはずじゃないところまで貫いた。息が出来なくて、過呼吸になりそうな僕にキスをして、アダムは僕の名前を呼ぶ。

「エヴァ、約束。」

返事ができない代わりに、必死に首を縦に振った。いい子、と頭を撫でると、腰を振って快感を求めた。彼の右手首の天使が、笑っている気がした。

 

目が覚めると、隣で寝ていたはずのアダムはいなくて、部屋中を探したけれど、彼の荷物は何一つない。服を着てフロントで聞いてみると、もうお金は支払われていて、金髪の彼は出て行ったよ、と言われた。

どう言う事。アダム。僕と貴方は、繋がってるんじゃなかったの。悲しくて涙が出る。フロントの男は面倒臭そうに、だけど可哀想に思ったのか、使い古されたハンカチを渡してくれた。腰の鈍痛と手首のガーゼが、彼と出会ったのは現実だと示していた。

 

三日経って、痛みも引いて、ガーゼを剥がすと綺麗な羽根が一枚、僕の手首に現れた。アダムの天使も綺麗だった。怖かったけど、甘いひと時。恐ろしかったけど、優しく抱かれた快感。僕は、すっかりアダムに恋をしていたのだ。街を歩けば必死に彼を探した。学校では、掻きそうになると手首のタトゥーが目に入って、手を止めた。僕のアトピーは、日に日に良くなっていった。

「エヴァン、前と変わったね。」

最近では、話しかけてくれる人も増えた。友達が出来た。いつも俯いていた僕が、前を向くようになって、皆気さくに言葉を交わしてくれるようになった。保湿をしたおかげで綺麗になって、肌の露出も増えて、今はもう皆とほとんど変わらない見た目。顔はまだ、少し赤いけれど。

「暗くて、なんか近寄りがたかったけど、話してみたら楽しいし。もっと積極的になればよかったのに。何か変わったきっかけとか、あるの?」

「そうだね。」

答えようとした時、食堂の片隅がわっと騒がしくなった。驚いて振り返ると、集まっている人たちが携帯電話を片手に叫んでいる。

「見つかったって!キラービューティ!」

「ハンサムじゃん!誰だよ醜いとか言った奴!」

捕まった?アダムが?震える手を抑えながら、自分の携帯電話を取り出して、ニュースの画面を見る。

アダムの写真。それから、見出し。

 

───連続殺人鬼キラービューティ、警察に追い込まれ胸を撃たれて死亡。本名はマシュー・ジャクソン

 

死亡、という文字が僕の頭を殴るように襲いかかる。頭が痛い。アダムが、死んだ。辛うじて見える右手首には、天使のタトゥー。

「良かったね。これで安心して街を歩けるよ。」

何も知らない友達は、ホッとしてそんな言葉を吐いた。僕はその言葉にかあと顔が熱くなるのを感じた。

彼は、非道な殺人鬼なんかじゃない。僕を綺麗と言ってくれて、愛してくれた。僕が変わるきっかけをくれた。マシュー。神の贈り物。その名前にぴったりの事を彼はしてくれたのだ。

信じたくない。手首の羽根が疼く。彼と繋がっているからこそ、痛みを感じる。僕は学校を飛び出して、タトゥースタジオへ向かった。

 

「これを今すぐ消してください。」

泣き腫らした顔で、男に言った。困った顔でどうしたものかと言いあぐねている彼を追い詰めているのは分かってる。でも、これがある限り僕はアダムに縛られてしまう。

「消せるわけないだろ。一度入っちまったもんは、一生消せないんだよ。」

「でも!」

膝から崩れ落ちた僕に駆け寄って、男は胸を貸してくれた。

「死んだ人を愛してしまうのが、こんなに辛いなんて知らなかった!どこかで生きていれば、また会えるって信じていたのに。どうしてまだ僕と彼は、繋がっているんだ。彼がいなくなったら、僕はもうっ、」

「坊主、よく聞け。」

僕の涙を自分のタンクトップで拭いてくれて、男は一つの提案をした。

「あいつはお前を相当気に入ってた。今まで人に執着した事がないあいつがな、しょっちゅう話すんだ。今頃どうしてるだろう。自分がいなくなって、泣いているだろうか。会いに行こうか。でも、自分は人殺しだから、お前に会いに行って迷惑をかけたくないってな。よくぼやいていたよ。」

「そ、んな、」

「だからな、坊主。お前さん、随分肌も綺麗になったし、右手にもう一つ、入れないか?天使のタトゥーをな。」

店の奥に引っ込んだ男は、一枚の写真を持ってきた。

「あいつの手首の写真。これをお前さんに入れる。どうだ?」

写真の中で笑うアダムの右手首の天使。笑顔と同じで、とても穏やかで美しいタトゥーだった。

「勿論、お前があいつの事を忘れたいなら、無理にとは言わない。羽根も消せはしないが上から別のものを入れることは出来る。」

首を横に振って、僕は涙を拭った。

「入れてください。アダムの一部が、僕に入るなら、こんなに幸せな事はないです。」

男は器具を取り出して、僕の右手を優しく掴んだ。じんじんとした痛みが、僕とアダムをずっと繋げてくれるような気がして、誇らしくなったんだ。緑の瞳の天使のタトゥーを持つ彼は、僕の中では殺人鬼ではなく、愛しい人として刻まれていった。

「喜んでくれるかな。」

「多分な。」

「他に、何か言ってました?」

「綺麗なエヴァは、自分を思い出してくれているだろうかって、よく言ってたよ。」

「綺麗に、なったでしょうか。」

「見違えるほどにな。」

アダムとのキスは、きっとエデンの禁断の果実だったんだろう。愛してはいけない人を愛してしまった罪と罰。それでも、僕は幸せだったよ、アダム。